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中沢啓治

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黒い雨にうたれて

出版社: 東京漫画社
シリーズ:


twitterでのコメント (関係ないのに引っかかることもあります...)

asa_ueno22 流行りの #はだしのゲンコラ の中の広島弁が関西弁になってたりするのがあって面白い。 中沢啓治先生のまんが、ゲンも本当に面白いし げんこつ岩太も元気でるよーー!! https://t.co/T5sh4ZjSXK
9_cosmo_walkure RT @penewax: 「どうか戦争を憎む気持ちを燃やしつづけ 平和を守りつづけてくれぇ」「それには政治をしっかりみつめてほしいのじゃ。政治から目を離し背を向けると知らぬまに戦争の準備がされ 気がついたときはおそいのじゃ」はだしのゲン /中沢啓治 http://t.co/Sw
nakazawakeiji 「忘れてしまうことが大事なこともあるが、これだけは忘れてはいけない。はだしのゲン作者が死の直前、次の世代に遺した最後のメッセージ」中沢啓治 『はだしのゲンわたしの遺書』【送料無料】 [楽天] http://t.co/OEgvnUBI2v
Nobuka96 RT @penewax: 「おまえたちはだまされるんじゃないぞ。朝鮮の人や中国の人 みんなと仲よくするんだ。それが戦争をふせぐたったひとつの道だ」はだしのゲン / 中沢啓治 http://t.co/2vIDzh99Ef http://t.co/ifn7A1Ck3V
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中沢 啓治(なかざわ けいじ、本名同じ。1939年3月14日 - )は、日本の漫画家。広島県広島市舟入本町(現在の広島市中区舟入本町)出身。現在は埼玉県所沢市に在住。

自身の被爆体験を元にした代表作『はだしのゲン』等で戦争、特に原子爆弾を取り上げている。

人物

1945年8月6日、広島市立神崎国民学校(現在の広島市立神崎小学校)1年生だった時に広島で被爆。友達の母親に呼び止められて自身は建物の塀の影に入って熱線を浴びずに奇跡的に助かるが(『はだしのゲン』の原爆投下時のエピソードとほぼ同じである)、父、姉、弟を失った。父は日本画家だった。

長田新が被爆児童の手記を集めて1951年に刊行した『原爆の子』の「序」に中沢の手記の一部が引用される形で掲載されている。

終戦後、手塚治虫の『新宝島』を読んで感動し、漫画家になることを決意。その後、漫画の投稿を何度も行い、中学卒業後に看板屋で数年勤めた後、1961年に上京。2年後の1963年(自伝「おれは見た」では半年後という事になっているが、どちらが正しいかは不明)、『スパーク1』(『少年画報』)でデビュー。

上京当初は周囲の原爆被爆者に対する差別の視線から、自らが被爆した過去を語りたがらず、専ら少年向け漫画誌に原爆とは無縁の漫画を描いていた。転機となったのは1967年の母の死で、初めて原爆を題材とした漫画『黒い雨にうたれて』を描き始めるが、最初はどこの出版社からも掲載を断られ、描き上げてから2年の時を経ての公開となった。新人の頃は、一峰大二、辻なおきのアシスタントを経験した事がある。

『はだしのゲン』は、33歳の時、出版社の企画で描いた自伝の漫画『おれは見た』に感動した編集長に長期連載を勧められ始まったもので、広島の原爆で父、姉、弟を喪った主人公の少年、中岡元(なかおか げん)が逞しく生きる姿を描いている。主人公・元の姉と妹の名前は中沢自身の姉と妹の名前をそのまま使用しているなど自伝的要素が強い。

尚、中沢の漫画は妻に手伝ってもらう他には一人で描いている。これは中沢がアシスタントを雇って作業する方法を嫌っており、自分一人で描くというポリシーを持っているためである。そういった中沢のこだわりもあり、違う職業の人としか顔を合わせないこともある。理由は、原爆漫画家と同業者からレッテルを貼られていることが不快で、自分の顔を見られることが嫌だからと語っていた。

中沢自身が原爆投下を直に経験したせいか、原爆を投下したアメリカとその相手国の日本の双方を批判しているのみならず、自衛隊に関しても「環境保護をするべきだ」や「軍用機の保持は不要である」といった反戦的な主張をしている。

中沢は昭和天皇の戦争責任を主張しているため、作中のゲン同様に天皇を激しく嫌い、天皇制を強固に廃止する事を求めており、「天皇や軍部はポツダム宣言を無視し、その結果、広島・長崎で多くの人が亡くなった。なのに戦後、天皇が広島に来た時には日の丸を振るように学校で言われた。なぜ万歳なのか。今でも腹の中が煮えくり返る思いがある。日本人は甘いと思う」と主張している。

2002年、第14回谷本清平和賞を受賞。

2001年頃から患っていた糖尿病による、左目の網膜症と右目の白内障で視力が低下したため、執筆活動から遠ざかっていた。後に白内障の手術を行なうも視力が回復せず、2009年9月14日に正式に漫画家引退を表明した。『はだしのゲン 第二部 東京編』はネーム(または原作)のみの段階で構想を練っていたという。だが、引退表明に伴い『第二部』の制作を断念。「ゲンのその後は読者自身が考えてほしい」と語っている。同年12月8日、中沢は手元に残っていないデビュー作『スパーク1』を除く所有するすべての漫画の原画などを広島平和記念資料館に寄贈すると発表した。その中には幻となった『はだしのゲン』第二部の原画も含まれている。2009年12月9日 中国新聞 1

現在は原爆漫画の第一作「黒い雨に打たれて」の映像化を準備中。

その他の作品

漫画

原爆・戦争関係

  • おれは見た(『はだしのゲン』の原型となった中沢啓治の自伝漫画)
  • むらさき色のピカ
  • 永遠のアンカー
  • 出発の歌
  • 拍子木の歌
  • いつか見た青い空
  • 黒い雨にうたれて
  • 黒い河の流れに
  • 黒い鳩の群れに
  • オキナワ
  • ある日突然に
  • 何かが起きる
  • 赤とんぼの歌
  • ゲキの河(戦前の広島市が舞台の作品)
  • チンチン電車の詩
  • ユーカリの木の下で
  • あの街この街
  • いいタマ一本
  • クロがいた夏(絵本。1990年にアニメ化されている)

その他

  • スパーク1(デビュー作)
  • チエと段平
  • 拝啓青空さん
  • あさがお日記
  • おーい花ちゃん
  • 大五郎の恋
  • ドスコイ平六
  • 三ちゃん出番だよ
  • ある恋の物語
  • おはよう
  • 野球バカ
  • グズ六行進曲
  • 燃えろグズ六(グズ六行進曲とは別の物語)
  • げんこつ岩太(ギャグが中心となった作品であり、彼の作品としては異色作)
  • 広島カープ誕生物語(後に大幅に脚色がなされ、広島東洋カープの結成を描いたアニメ映画『かっ飛ばせ!ドリーマーズ』の原案となった)
  • 悪太郎
  • 地蔵の松
  • タイ焼き音頭
  • お好み八ちゃん(1999年には、中沢自身による製作・脚本・監督で実写映画化された)
  • 男なら勝利の歌を
  • カレーバカ
  • われら永遠に
  • 宝島
  • 進め!!ドンガンデン
  • 冒険児ジム(1970年9月1日〜11月21日に高知新聞に月〜土で、1971年から福井新聞に毎日連載新聞マンガ研究所データベースより
  • 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(ゴジラVSメカゴジラ決戦史、竹書房、1993年、ISBN 978-4884756895 に収録)
  • ウルトラセブン「ボーグ星人の巻」(ウルトラセブン、講談社テレビコミックス、第5集、1968年4月20日発行に収録)

ほか多数

絵本

  • 絵本はだしのゲン 作・絵 中沢啓治 - ISBN 4811300505

手記

  • はだしのゲン自伝 - ISBN 4876522634

TV出演

  • スーパーモーニング(テレビ朝日、2010年8月10日)
  • BS世界のドキュメンタリー「“マンガ”戦場を行く」(Comic Books Go to War)(イタリア、2009年制作、NHK BS1、2010年8月14日)

脚注

関連項目

  • 長野規 - 週刊少年ジャンプ元編集長。『はだしのゲン』連載と枠の維持に尽力した。
  • 広島県出身の人物一覧
  • 広島原爆をテーマとした作品 

eo:Nakazawa Keiji

ko:나카자와 케이지