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ストッパー毒島/ハロルド作石

共有

著者: ハロルド作石
巻数: 12巻

ハロルド作石の新刊
ストッパー毒島の新刊

最新刊『ストッパー毒島 12


出版社: 講談社
シリーズ: ヤングマガジンKC


twitterでのコメント (関係ないのに引っかかることもあります...)

k_ryosuke0331 RT @baseball_meigen: 打たれるのはかまわん でも逃げのピッチングは許せんな 闘志なき者は去れ! チックくん(漫画『ストッパー毒島』)
akiba193 「AKB49」はストッパー毒島的に面白い+岩井俊二の話 - subculic: 漫画AKB49?恋愛禁止条例?(1) (少年マガジンコミックス)作者: 宮島礼吏,元麻布ファクトリー出版社/メーカー: 講談社発売日:... http://bit.ly/cYED4H
bantosuzune ハロルド作石の漫画に「ストッパー毒島」ていう野球漫画があったな・・・、関係ないけどw

ストッパー毒島』(すとっぱーぶすじま)は、週刊ヤングマガジン(講談社)1996年第7号から1998年第51号にかけて連載されたハロルド作石作の野球漫画。全12巻の単行本が同社から発売されている。

舞台は日本のプロ野球界、1996年~1997年シーズンのパシフィック・リーグで、主人公・毒島大広の所属する架空球団「京浜アスレチックス」の他、当時活躍していたプロ野球選手・監督・関係者達も実名で登場する。パ・リーグに関する小ネタが多く、評価が高い。

あらすじ

プロ野球入りを目指す高校生・毒島大広は、非凡な才能を持ちながらも素行不良から野球部に入れてもらえず、学外での乱闘事件をきっかけに高校も退学になった。しかし毒島を中学生の頃から見ていたというパ・リーグの弱小球団・京浜アスレチックスの木暮スカウトの働きもあり、1995年のドラフト会議でアスレチックスから8位指名を受ける。入団を渋る周囲の人間を自慢の剛速球で捻じ伏せた毒島は、チームのストッパー(抑え投手)を志願し、シーズン60セーブとチームのリーグ優勝を目指して1年目から大暴れする。

京浜アスレチックス

パシフィック・リーグ所属の球団。昭和40年代半ばにリーグを2連覇するが、その後黒い霧事件で主力の多くを失い、優勝から28年間、Aクラスから20年間(1997年時点)遠ざかっているお荷物球団。親会社は京浜運輸だが、身売りの噂が絶えない。チームカラーは緑で、ユニフォームはオークランド・アスレチックスを真似ている。英語表記は「KEIHIN ATHLETICS」、略記「A's」。

本拠地は駒沢フィールド(東京都世田谷区駒沢、かつて実在した駒澤野球場、および現存する駒沢オリンピック公園総合運動場硬式野球場との関連はない)。日本一の収容人員を誇るメジャーリーグ式の球場だが、客が満員になる事はまずなく、取り壊しの話も具体化している。外観はナゴヤ球場、スコアボードは横浜スタジアムに酷似。グラウンド及びスタンドはドジャースタジアムがモデル。

チームマスコットはキツネの「チックくん」。可愛さとはかけ離れた風貌と試合の合間に行なうやる気の感じられないダンスから、チーム同様人気はない。犬と間違えられたことがある。

登場人物

京浜アスレチックス・投手

毒島 大広(ぶすじま たいこう)
身長193cm、背番号55、左投げ左打ち。1978年10月22日生まれ。17歳(96’)。
経歴/広橋中-間柴高校中退-京浜アスレチックス(95’8位)
本作の主人公で、アスレチックスの若きリリーフエース。間柴高校を中退(中学時代、清水が所属していた野球部の財布を盗んだ疑いをかけられたり、毒島の父を罵った顧問を殴ったという問題から野球部には入っていない)し、1996年に京浜アスレチックスにドラフト8位で入団。
MAX163km/hの速球(ムービングファストボール)を投げる豪腕だが、反面コントロールには難があり、入団テストで投げた時には、1球もストライクが入らなかった。また、変化球は全く投げられない。ルーキーイヤーは開幕一軍を果たしイチローを抑えてプロ初セーブをマークするが、制球難で通用しなくなり二軍落ちするが、その後チックくんの指導と特訓により制球難を克服する。変化球習得を目指す中で偶然編み出した「ブスジマチェンジ(バルカンチェンジに酷似した変化球)」も武器に加わり、リーグ屈指のストッパーに成長していく。
片平監督の起用法に抗議するため、交代を告げられるとパンツ1枚でマウンドを降り、私服に着替えて敵チーム側のスタンドで試合を見ていた。
尊敬するピッチャーは大野豊と、チームメイトである暮海明夫。兄の影響で広島カープのファン。
最初はこの手の漫画の主人公によくみられる、一度暴れたら誰にも手のつけようのない「バイオレンス毒島」とうたわれる程の凶暴で、起用法などで首脳陣に襲いかかり罰金を払わされた。また、先輩選手にすら敬語はあまり使わず、わがままな性格だったが、二軍落ちや中継ぎにされるなどの苦い経験を積んで徐々に丸くなり、チームメイトとの信頼を深め合う大人っぽいプロ野球選手に成長している。
マリンスタジアム近くの浜辺を走っていた伊良部秀輝に球速勝負で喧嘩を売ったことがある。
エラーしたチームメイトを追いかけ回し、試合が中断したことがある。
オリックス戦では交流戦が行われる前のパ・リーグでは珍しく、打者として満塁本塁打を記録。
投げる時に「おっほえ」という奇妙な声を上げることがあるが、物語の終盤では少なくなった。
「BECK」の中で登場人物が読んでいたスポーツ新聞では、その後「今季絶望か」と書かれるケガをしたらしい。
清水 良馬(しみず りょうま)
背番号13、右投げ右打ち。17歳(96’)。
経歴/立花東中-岡村学園高校中退-カンザスシティ・ロイヤルズ(米国1A)-京浜アスレチックス(95’1位)
毒島と同期の1996年ドラフト1位投手。毒島とは中学時代から縁がある。マスコミ嫌いなど扱いにくい性格で、名門の岡村学園高校の野球部で1年生エースとして活躍し、甲子園出場を決めるも監督とソリが合わず中退し、アメリカ留学し1Aで11勝を挙げた。木暮の誘いを受けてアスレチックスに入団、すぐにエース格となるが、本人はメジャーリーグ志向が強く、2年後にはメジャー行きの密約を球団と交わしている。150km/h近い直球と、強力なフォークボールを武器にしている。1年目は11勝14敗。片平監督の下ではストッパーも経験したことがあるが、何度も敗戦投手になっている。2年目には15勝している。
成績上はエースとして申し分ない活躍だが出番はあまり多くなく、優勝の懸かった1997年シーズン最終戦に先発するも、初回早々に打球を受けて降板するなどやや不遇な扱い。
斉木 哲也(さいき てつや)
背番号21、右投げ右打ち。17歳(96’)。
経歴/兵庫吹石高校中退-京浜アスレチックス球団職員-京浜アスレチックス(95’3位)
毒島の同期の1996年ドラフト3位投手。兵庫吹石高校時代は「兵庫のドクターK」と言われていたが、高校を中退し駒沢フィールド職員を経てプロ入りした。右のサイドスロー(チックくんの勧めでフォームを改造)で、抜群のコントロールとキレのあるスライダーが武器。優勝を懸けた1997年シーズンは先発から抑えまでフル回転する。東尾修を尊敬しており、彼の現役時代と同じ背番号を背負う。当初21番は清水が付ける予定だったが、「約束が違う」と斉木がゴネたため、清水がアッサリと背番号を変えた。
入団直後には、速球派の毒島、清水に対抗すべく、球団職員を買収してスピード表示をごまかしてもらうなど、関西人らしいいたずらを随所に織り成す。
黒田 正弘(くろだ まさひろ)
背番号26、右投げ右打ち。29歳(96’)。
毒島加入以前のアスレチックスの抑え投手。ストレートの球速は最高123km/hと遅いが、様々な変化球を球速もさまざまに21球種を投げる技巧派。劇中で「小江夏」と言われているように江夏豊のような風貌。(背番号も江夏が広島-日本ハム時代に背負った番号である)
リリーフ時代は作中で打ちこまれることが多く(とくに千葉ロッテの堀幸一にはよく打たれ、彼は劇中「黒田キラー」と呼ばれる)、三木監督就任後は先発に転向。
アスレチックスのメンバーを取り巻く一つの派閥をつくっており、球団の内部事情にも詳しく、しばしば後輩を脅す。
最初は不真面目で嫌なキャラだったが、毒島ら若手に影響されて少しずつだが真面目に野球に取り組むようになる。
チーム一の酒豪で二日酔いのまま、登板した事もある。「野球は頭や」という著書を出している。
ウェイク 国吉(うぇいく くによし)
背番号41、右投げ左打ち。28歳(96’)。
沖縄県出身。本来は外野手。高校時代の友人で現スポーツ新聞記者の金城の発言から、高校時代は強打者であったことが分かる。チーム一の努力家だが、過度の練習で疲労骨折や脱臼など故障を頻発し、日陰暮らしが続いていた。
1997年シーズン、練習の合間に習得したナックルボールを武器に投手(ナックル・ボーラー)に転向して大ブレイク、オールスター以降に先発ローテーションの一員となり、8月と9月に月間MVPを獲得する活躍を見せる。10月に仰木彬監督の「待球作戦」でめった打ちにされるも、チック君の指導で自信を取り戻す。チックくんの中の人が三宅武ではないことを知っている唯一の選手。名前及びその経歴はティム・ウェイクフィールドをモデルにしている。ちなみに「待球作戦」とは、投げる本人もどこに投げられるのか、どのように変化するのか分からないナックルの特性を利用し、四球での自滅や甘くなったナックルを打ちにいく作戦。
陳 文治(ちぇん うぇんじ)
背番号18、右投げ右打ち。
清水とエースの座を争う台湾人投手。プレイボーイであり、日本人ガールフレンドから日本語を教わったので女言葉で話す。一度「オカマ」と言われると激怒し、兵役時代に身に付けた得意の太極拳で暴れ出す。またイラストが得意で右ヒジの治療で渡米した際に三木監督を励ますために、『いけない!ルナ先生』のイラストを添えた手紙を送ったこともある。
その喋り方やマウンドで舞うような姿のピッチングフォームは同じく台湾出身の郭源治を髣髴とさせる。
序盤で崩れる癖があり安定感は今ひとつ。清水同様、片平監督の下でストッパーも経験したことがあるが、何度も敗戦投手になっている。武器は外角のスライダー。
牧 司郎(まき しろう)
背番号19、右投げ右打ち。36歳(96’)。
投手コーチ兼任のベテラン投手。ただしコーチとしての実力はイマイチで、彼の指導を受け現役引退を決意した投手は多い。
毒島曰く「肩書きだけのコーチ」。そのため、投手陣からの信頼の多くはもう一人の投手コーチであるチック君に寄せられている。ピッチャーとしての能力はそこそこあるようで、毒島1年目には密かにチーム2位の8勝をあげている。
赤羽に建てたマイホームのローンに苦しむ。モデルは風貌と名前からマギー司郎と思われるが、むしろ松沼兄と言う説もある。
植西 克美(うえにし かつみ)
背番号47、右投げ右打ち。
経歴/社会人-京浜アスレチックス(96’3位)
1997年に社会人からドラフト3位で入団。150km/hを超えるストレートとSFFが武器の豪腕。アゴが特徴的で風貌は門倉健によく似ている。
毒島と抑えの座を争うが、結局中継ぎ(セットアッパー)として活躍。最終的には先発も務めている。
暮海 明夫(くれみ あきお)
背番号11、左投げ左打ち。41歳(96’)。
経歴/?-京浜アスレチックス(77’1位)
毒島も尊敬するアスレチックスの元エースで、毒島のよき理解者。新人でいきなり21勝を挙げるなど、華々しい活躍をしてきたが晩年は故障に苦しむ。しかし毒島のリリーフを得て通算200勝目を挙げ、そのシーズン(1996年)に引退。翌年は解説者として外からアスレチックを見守る。著書「マウンドを楽しむ 人生を楽しむ」の著者であり、大広はこの本に暮海のサインを貰おうとしていた。
尚、毒島に「ブスジマ・チェンジ」のちゃんとした握り方を教えたのは彼。
青山(あおやま)
背番号49、左投げ左打ち。
経歴/ふじしろ信用金庫-京浜アスレチックス(95’5位)
ふじしろ信用金庫軟式野球部出身の左腕。都市対抗野球大会の貸し出し選手(補強選手)として4イニング投げたのがスカウトの目に留まり、毒島と同期のドラフト5位でプロ入り。
貴重な左のサイドスローで、専ら中継ぎ(解説には敗戦処理といわれているが)として起用される。
森口(もりぐち)
背番号16、右投げ右打ち。
経歴/?-横浜-京浜アスレチックス
横浜から解雇されて移籍して来た。先発ローテーションの谷間を埋め、地味に活躍している。
川本(かわもと)
背番号12、左投げ左打ち。
毒島入団前に活躍していた中継ぎの左投手。しかし開幕前のノック中に伊藤と交錯し全治1ヶ月の脳挫傷を負う。
おかげで左不足になり、毒島が開幕1軍に入れることになるきっかけになった。その後は影の薄い選手に。
伊藤(いとう)
背番号32、右投げ右打ち。
川本と同じく中継ぎ投手。ノックの最中にアキレス腱断裂し、全治3ヶ月。以後あまり活躍しなくなる。

京浜アスレチックス・野手

佐世保 仁(させぼ ひとし)
背番号4731(1997年から)、右投げ右打ち、捕手。
経歴/?高校-京浜アスレチックス(93’4位)
甲子園常連高校から1993年ドラフト4位で入団。入団後から怪我に悩まされ続けたが、後述の渋谷の放出後、2軍で彼の実力を熟知していた三木監督に抜擢された。冷静な頭脳派でメガネがトレードマークだが、反面ガッツあふれるプレーが持ち味。チャンスに強い打撃を武器に中距離打者だがクリーンナップを打ち、捕手ながら打率3割、1997年シーズンはチームで唯一オールスターに出場しているが、2戦とも代走としての起用だった。
毒島ら一癖も二癖もある面々が揃った投手陣からの信頼も厚い。1997年シーズンから自ら希望してマイク・ピアザと同じ背番号31に。
劇中の城島健司との会話から、苗字どおり長崎県出身かと思われる(苗字にちなんだ冗談の可能性もある)。
三条 洋二(さんじょう ようじ)
背番号691(1997年から)、右投げ左打ち、二塁手。
経歴/社会人-京浜アスレチックス(93’1位)
社会人から1992年ドラフト1位(松井秀喜の外れ1位)で入団。本職は遊撃手であるが、二塁でも日本最強と言われる守備力で、信じられないほどの守備範囲の持ち主である。アスレチック投手陣を超ファインプレーで何度もピンチを救ってきた。また、三条の守備を見た毒島貴志も「あいつこそ、まっ先にメジャーに行くべきだな」と賞賛し、三木監督の孫など「プロ野球で見る価値のあるのはイチローの打撃と三条の守備だけ」とまで言っている。片平前監督とグラブさばきについて揉めて以降2軍暮らしだった。
打撃は並み以下だが、走塁のセンスは高く、盗塁を24個決めている。
普段は明るく遊び人を装っており、事ある毎に「徹マン明けで・・・」「(呑み屋を)3件ハシゴしちゃって・・・」などと吹聴しているが、陰で努力を重ねる苦労人。自分が練習している姿を見られることを極度に嫌い、試合後(ノーヒットだったなど結果がよくなかったとき)一人こっそりと練習している。その際に毒島に愛用のバット(岐阜の工場まで足を運び作った代物)をへし折られたことがある。しかし、優勝を狙うチームの影響でバントを失敗した翌日の練習で、雨の中で黙々とバント練習していた。
その守備をはじめ、1997年シーズンの背番号が1:であったり、右投げ左打ち、ホームランが少ないことなど、プレーヤーとしての特徴はオジー・スミスなどをモデルにしているように思われるが、顔および名前はプロレスラーの安生洋二がモデル。
火野 勝(ひの まさる)
背番号386(1997年から)、右投げ右打ち。遊撃手。25歳(96’)。
脅威的な長打力を持つスラッガーだが、その分三振も多い。守備にも難があり、トンネルや暴投が多い。小学生のときからずっとショート一本でやっていたが、好守の小野寺の加入や打撃に専念させるという首脳陣の意図により、1997年シーズン序盤にサードにコンバートされた。しかし逆に極度の打撃不振に陥ったため再びショートへコンバートされ、勝負強さを取り戻した。かつて2軍時代にも同様のことがあったらしく、それによりショートが本職の三条がセカンドへコンバートされていたが三木監督はその事を忘れていた。見た目とは裏腹に繊細な男。スランプ中は山畑コーチに熱血指導を受けるも結果的には・・・

『BECK』の主人公・コユキ達が通っていた一枝学園高校出身。

口を開けボンヤリとした面構えが気に入らなかったのか、片平前監督の構想に真っ先に外れたため2軍暮らしが続いた。モデルは顔からプレーの特徴に至るまで宇野勝。
肩がよく、138km/hを計測したことがある。
ファンには人気があるようで、1997年シーズン終盤には、スタンドに火野くん人形が登場していた。
川岸 大介(かわぎし だいすけ)
背番号7、右投げ右打ち、一塁手兼外野手。22歳(96’)。
経歴/大学-京浜アスレチックス(95’2位)
東都大学リーグで活躍し(4年次はベンチウォーマーだったが)、毒島らと同期のドラフト2位、しかも逆指名で入団。一発当たるとすごいが、いつ当たるかは予測不可能という確実性のないスラッガー。作中では未完ならぬ『未知の大砲』と称されている。
プロ入り後は外野手にコンバートされたが、フィールディングに難があり、また一塁に山本恒男がいることから指名打者として出場することも多い。愛車はベンツで、エラーした翌日にエンブレムを毒島が壊した。
モデルは、南海・ダイエー、巨人などで活躍した岸川勝也と考えられる。
ビル・ラズロック'''
背番号5、右投げ右打ち。外野手。46歳(97’)。
年俸3億円で1997年シーズンに入団した助っ人外国人。メジャーで3度の首位打者に輝いた大物との触れ込みだったが、46歳と高齢すぎてほとんど役に立たず。しかし劇中終盤でかつての名選手の実力を見せる。風貌と経歴を逆手に取ったセーフティーバントでチームに貢献することも。牧場を2つも経営している「アメリカンドリームを体現した男」。
水野晴郎似の風貌から「ハルオ」の通称で呼ばれる。
モデルは1988年にロッテオリオンズでプレーした(経歴はほぼそのまま)ビル・マドロック。
本上 博史(ほんじょう ひろし)
背番号00、左投げ左打ち、外野手。22歳(97’)。
経歴/社会人-京浜アスレチックス(96’2位)
熊本県出身。1997年のドラフト2位ルーキーで、社会人出身にもかかわらず、茶髪のリーゼントに眉無しのヤンキー顔の容姿でとてもプロ野球選手には見えない。小暮曰く「イッパツもある走・攻・守三拍子そろった大型外野手」で1年目からアスレチックスのトップバッターを務める。
ガッツ溢れるプレーが身上だが、打撃は粗く、積極的に盗塁を試みるが成功率は低い。ただ、シーズン終盤は配球を読んで打ち、チックくんに「今後7年は一番を任せられる」と言わせるほどの成長を見せる。
元暴走族のリーダーで気性が荒い。遠征はバイクで移動するのがポリシーで、罰金を払ってまでこだわっている(シーズン開幕時はカワサキ・Z1300に乗っており、後半からホンダ・CBXに乗り換えている)。
1997年リーグ終盤では、バイク事故による足の負傷を隠して気合で出場する。
バッティングフォーム等プレーのモデルは佐々木誠。名前やキャラクターはドラマ『チャンス!』での三上博史と、劇中の彼の役名・本城裕二が由来と言われている。
加瀬 英二(かせ えいじ)
背番号22、右投げ右打ち、三塁手。36歳(97’)。
経歴/池永高校-大学-京浜アスレチックス(82’1位-94)-広島東洋カープ(94-97)-京浜アスレチックス(97-)
三木監督が「入団したときから、打撃フォームはイジるとこが無くケガをする前までは4割を打つのはコイツだと思っていた」と述べるほどの打撃の天才。高校、大学とキャプテンで日本一、ドラフト1位で入団。実際3割を6度も打ったが、数々の女と浮き名を流す球界一の絶倫男ぶりでも有名で(女子高生を妊娠させたとも)、前監督の片平に嫌われ広島東洋カープへと放出されるが、チーム改革のために、元「ミスターアスレチックス」のリーダーシップを期待した三木監督に呼び戻される。
野球知識は豊富で、チームのミーティングで勉強会を開いたりした。
長いプロ人生で優勝争いに関わることはほとんど無かった。
名前は加藤英司がモデル。
小野寺 学(おのでら まなぶ)
背番号3、右投げ両打ち、内野手(遊撃手・三塁手)。19歳(97’)。
経歴/外木場学園高校-京浜アスレチックス(96’1位)
名門・外木場学園高校を主将として2度甲子園に導いた1997年のドラフト1位ルーキー。
新人離れしたグラブさばきと俊足が売りで、出番が多くないにも関わらず数多く盗塁をしている。
さらにかなりの強運の持ち主である。甘いマスクに性格も素直でアスレチックス首脳陣がこれからに期待している選手。
モデルは、静岡商業から南海ホークスに入団し、南海在籍中に急逝した久保寺雄二ではないかと思われる。
山本 恒男(やまもと つねお)
背番号10、右投げ右打ち、内野手。28歳(97’)。
黒田正弘の一の子分として一緒に飲み歩く。打撃は平凡だが、守備に天性の才能があり、内野はどこでもこなせる。
だらしない性格で練習嫌いのため、黒田ほど毒島達に感化されてなかったが、物語終盤ではリストラに怯え真面目に練習に参加。
打順は下位打線が多いが、たまに1番で起用されている。
風貌はプロレスラーのブルーザー・ブロディ似。名前はターザン山本から。
矢島 健一(やじま けんいち)
背番号14、右投げ左打ち、一塁手。プロ18年目(97’)。
経歴/?-ダイエー(?-96)-京浜アスレチックス(96-)
渋谷貴之とのトレードでダイエーから移籍したベテラン。
かつて首位打者を獲得した打棒はいまだ健在で、4番を任されることもあったが、モデルになったと思われる谷沢健一同様、アキレス腱に爆弾を抱えており故障がち。(酒マッサージをもう一度・・・と発言している。)
オヤジギャグを連発するためいまいち人望が薄い。
広岡 不二夫(ひろおか ふじお)
背番号23、右投げ右打ち、外野手。
経歴/?-:西武ライオンズ(?-96)-京浜アスレチックス(97-)
西武ライオンズから移籍してきたベテラン選手。劇中ではかつて秋山幸二の守備のお手本となったほどの守備の職人。本職は外野だが、捕手以外ならどこでもこなせるいぶし銀のユーティリティプレイヤー。
解説者からは出来すぎと言われる活躍を見せた。
名前からモデルは広岡達朗と作者が尊敬する漫画家、藤子不二雄からとったと思われる。
八木(やぎ)
背番号25、右投げ右打ち。
経歴/?-:西武ライオンズ(?-96)-京浜アスレチックス(97-)
広岡とともに西武ライオンズからリストラされ移籍してきたベテランで、主に代打屋として活躍。
リーグ屈指の左殺しだが、右投手からは全く打てない。バントも上手く、また一方ではホームランを8本放つなどパンチ力もある。
モデルはやはり“左殺し”と呼ばれた西岡良洋、もしくは八木裕と思われる。
脇菜 良晴(わきな よしはる)
背番号2。右投げ右打ち、捕手。19年目(97’)
経歴/?-:阪神-ロッテ-京浜アスレチックス(97-)
阪神とロッテでプレーした19年目のベテラン捕手。
元チームメイトの小宮山悟のルーキー時代にプロのいろはを教えており、小宮山は苦手にしている。相手の隙を突くリードが定評。
佐世保欠場時にスタメンで出場。毒島を好リードし、フィッシュバーンから三振を奪った。
モデルは若菜嘉晴。なお、若菜は現実は1997年から福岡ダイエーのバッテリーコーチであったため、本編にも当人が登場している。
要(かなめ)
背番号9。右投げ両打ち。外野手
外野手。山本より先輩のベテラン。色黒。
山本と「今年はこれで充分だろ」と言い、三木監督にベンチに引っ込められる。たまにスタメンで1番で起用されることも。
モデルは屋鋪要と思われる。
佐藤慎(さとう しん)
背番号59
代走の切り札。代走以外での登場が一切無い。
他に佐藤という選手がいるのか、「佐藤慎」で通っている。「慎」がフルネームかどうかは不明。
佐世保退場時にピンチランナーで出場。
モデルは佐藤純一。
藤川'''(ふじかわ)
背番号4。右投げ右打ち。ポジションは内野(ショート)と外野両方をこなす。
通称「こけしバットの藤川」。日韓野球に出場経験がある。
清水のお披露目投球、斉木の背番号を賭けた勝負の時のバッター。毒島の剛速球を間近で味わったプロ打者第1号。
毒島1年目はレギュラーだったが、2年目からは出てこなくなった。打率は低い。
モデルはこけしバット使用の先駆者である藤原満か。
小野(おの)
背番号54。右投げ右打ち、内野手(一塁手)。
毒島1年目に登場するが、佐世保らの台頭後は1軍から消える。
アシスタントがモデルらしい。
ノリス
背番号31。右打ち。
毒島1年目に在籍したダメ外国人。風貌はチャック・ノリスがモデル。

京浜アスレチックス・首脳陣 / スタッフ

三木 源三郎(みき げんざぶろう)
背番号80、2軍監督 → 1軍監督。
アスレチックス優勝時のヘッドコーチだが、派閥争いに巻き込まれその後2軍監督に降格したまま20年近く過ごしていた。1996年シーズン途中、片平の退任後のごたごたで代行監督となり、翌年「チックくんを投手コーチにする」条件で正式に1軍監督就任。昭和一桁生まれという高齢の為かよく試合中に居眠りをしている。その際には「大毎ミサイル打線と戦う」、「稲尾和久からウェイクがタイムリーを打つ」「西本監督にヘッドロックを決める」などのありえない夢を見ていることも。若手育成が得意で、若き日の加瀬に始まり、佐世保・三条・火野ら多くの選手の才能を見出す。モデルになったのは小西得郎らしい。
チックくん
チームマスコット兼1軍投手コーチ。マスコットにあるまじき無愛想っぷりで不人気。しかし着ぐるみの中に入っている人物は野球に関する知識が深く、斉木にサイドスロー転向を勧め、毒島に投球フォームの修正などしているうちに、1997年は三木の要望で着ぐるみのまま投手コーチに就任することになる。就任後は毒島にサークルチェンジを教え込み、ウェイク国吉をナックルボーラーとして復活させた。中の人は元アスレチックスのドラフト1位投手「三宅 武」(みやけ たけし)ということになっているが…。
中村(なかむら)
1軍ヘッドコーチ。三木監督の右腕的存在で、彼の1軍監督就任に伴い2軍から昇格。三木監督が倒れた際には代行監督として指揮した。いつも三木監督の隣にいて、監督は眠りの際にはよくもたれかかられている。
山畑(やまばたけ)
背番号89。近鉄V2時代の選手だった1軍打撃コーチ。「教え魔山さん」とアダ名がつくほど仕事熱心。スランプ中の火野には「月に向かって打て」と言ったり、天秤打法まで伝授したりした。おかげで火野はノイローゼ気味に。本人も不眠症に陥る。更に火野に西本幸雄ばりの鉄拳制裁をしようとするが、火野にスパイクで蹴られ、全治1ヶ月の怪我を負う。モデルは名前から山内一弘、高畠導宏かと思われる。
飯島(いいじま)
背番号85。1軍三塁守備走塁コーチ。優勝を賭けたロッテとの最終戦で毒島貴志のメジャー級の送球を知らずに、加瀬をホームに突入させてしまった。
小川(おがわ)
背番号83。1軍一塁守備走塁コーチ。遠征先ホテルでの選手のチェックや、矢島が怪我をしたときに肩を貸していたりしていた。
鬼頭(きとう)
背番号99。自称「ファームの鬼軍曹」。おそらくブルペンキャッチャーで毒島の球を倒れるまで受け続けた。
小山(こやま)
三木の後任の2軍監督。ブスジマチェンジを「今世紀最後の魔球」と言っていたが、三木監督曰く言うことが大袈裟。
安井(やすい)
トレーナー。彼のマッサージは選手たちから好評。優勝争いの中で疲弊していく選手達のコンディションを誰よりも心配する。三木監督からなかなか名前を覚えてもらえない。
島田(しまだ)
ロッテ担当スコアラー。ロッテのマスコットマー君のビデオをチックくんに頼まれる。
牧野(まきの)
球団職員で、駒沢フィールドの整備担当。日本最速の速球を投げる毒島が入団してからはスピードガンの精度に熱意を傾ける。ごくたまにチックくんの中に入り踊っている。趣味は社交ダンス。
北島(きたじま)
役職は不明(マネージャー?)。ダイエー戦でチックくんに使い走りを頼まれる。
片平 直矢(かたひら なおや)
背番号80。1996年シーズン途中までの監督。守りの野球を提唱する生え抜きの理論派監督だが上手くいったためしがなく、また自分が気に入らない選手はトレードに出すか飼い殺しにするなど、監督として優秀ではない。毒島も彼のお気に入りの壷を壊したため2軍落ちとなったが、毒島の事を救世主と言う場面もあった。神経質で胃に持病を抱えており、監督退任の直接の原因もそれであった。趣味は陶芸。監督解任後はテレビの野球解説者となっているが、アスレチックスを酷評するなど球団に恨みを持っている様子。ウェイクが初登板した試合に解説者として登場し、「話題作り」と批判するもウェイクは好投。最終的に胃が痛いと言ってトイレに行ったきり帰ってこなかった。現役時代は内野手。
熊谷(くまがや)
背番号79。1996年シーズンまでのヘッドコーチ。片平が退任したときに代行監督になったが、指揮した6試合全敗。ロッテとのシーズン最終戦には伊良部秀輝にノーヒット・ノーランを食らい、暴走したファンにハイジャック・バックブリーカーを受け球団を去る。
木暮 武夫(こぐれ たけお)
スカウト → 管理部長。「風来坊スカウト」と呼ばれ、広島や西武で多くの選手を見出し、毒島も彼に才能を見いだされた(ただし西武のスカウトとして勤務していた頃にドラフト会議で竹田光訓の指名権を得るためのクジを外している)。劇中で上田利治が賞賛するほどの名スカウトだが、外様ゆえにアスレチックスでの信用はあまりない。1997年からはアスレチックス管理部長に。モデルはかつて「スカウトの神様」と呼ばれ、広島黄金期の影の主役として活躍した木庭教。
小林(こばやし)
編成部長。外様の小暮には冷たい。同じ関西出身として上田利治を心の師と仰いでいる。藤田元司や古葉竹識を監督として呼ぼうとしていた。
赤沼 (あかぬま)
球団オーナー。毒島の入団テスト時に視察に訪れ、毒島のすっぽ抜けた豪速球が危うく当たりそうになった。球団の不人気ぶりに頭を痛め、1997年限りでの球団身売りを考えている。

他球団の架空選手

渋谷 貴之'''(しぶや たかゆき)
背番号51、右投げ右打ち、福岡ダイエーホークスの内野手。
アスレチックスの正捕手にして主軸打者だったが、プライドの高さが災いしてチームメートと仲が悪く、さらに首脳陣批判を繰り返し、FA移籍をほのめかしたことから矢島との交換トレードで放出。ダイエーでは不動の正捕手・城島の存在と彼の打力を生かすためということで、三塁手に転向する。大のヘヴィメタルファン。同じくヘヴィメタルファンである、ロッテの初芝清とはしばし口論となってしまう。
渋谷 直之(しぶや なおゆき)
背番号19、右投げ右打ち、福岡ダイエーホークスの外野手。
渋谷貴之の弟。アマ全日本の4番を務めた、兄以上の強打者。親に甘やかされて育ったらしく、わがままで子供っぽい。外野守備はやや下手。監督の王貞治を尊敬している。
フィッシュバーン
背番号4(巨人時代)→2250、左打ち、近鉄バファローズの外国人選手(指名打者で登場することが多く、登録上内野か外野かは不明だが、一度ベース上でジミー・カイテルと会話しており、一塁手だと思われる。)。
3Aで2年連続三冠王の実績を持つ。読売ジャイアンツ2軍時代に毒島と初対戦、その後素行の悪さや外国人枠の関係から1996年途中に金銭トレードで近鉄へ。ストーブリーグ時にはモントリオール・エクスポズのオファーがあったものも、それを蹴って岡本太郎がデザインした近鉄のエンブレムのタトゥーを左腕に彫り、近鉄残留を決めている。近鉄では主砲として活躍し、2年連続で本塁打王を獲得する。速球派の毒島大広を「力と力の勝負が出来る選手」と認め、ライバルとして意識する。近鉄監督・佐々木恭介に惚れ込んでおり、「2冠を獲ったら監督をオンセン(温泉)に連れて行く」と発言。モデルは近い経歴のラルフ・ブライアントか。風貌はローレンス・フィッシュバーン。
毒島 貴志(ぶすじま たかし)
背番号7、左投げ左打ち、千葉ロッテマリーンズの外野手。
主人公・毒島大広の実兄だが、兄弟仲は悪い。劇中で木暮スカウトが「和製バリー・ボンズ」と称し、ケガをしなかったらメジャーで3割・30本・30盗塁は軽くクリアする逸材と評価する天才。リトルリーグで世界制覇の経験があり、高校卒業後渡米しマイナーリーグへ入団するが、交通事故で瀕死の重傷を負いメキシコへ移籍。メキシコにいるときには銃自殺も考えたが、リハビリ中にロッテに入団。走攻守三拍子揃った選手だが、足だけは交通事故からの回復が遅れている。実は木暮スカウトは大広よりもこの貴志を獲ろうとしていた。
溝口(みぞぐち)
背番号80、右投げ左打ち、日本ハムファイターズの外野手。毒島とは中学時代から因縁がある。赤堀商業高校時代には「甲子園のアイドル」を言われドラフト1位で日本ハムに入団(ロッテや仰木監督も挨拶に来ていたことから、複数の球団から指名があったのかもしれない。ちなみにロッテ側からは「初芝二世」と評されていた。)。2軍で英才教育を受け、2年目に1軍昇格。金子誠と共に上田監督から、かつての上田の教え子でもある阪急黄金時代の福本豊、蓑田浩二の1、2番コンビを超えるほどの活躍を期待される。
ジミー・カイテル
背番号50、右投げ右打ち、西武ライオンズの外国人選手。
ピッツバーグ・パイレーツ時代にバリー・ボンズらとクリーンアップを組んだという超大物選手で、ニューヨーク・ヤンキースとの契約に折り合いがつかず来日。日本球界を腰掛けにしか思っておらず、打撃が好調な日でも適当な理由をつけて途中で引っ込んだり、試合に出なかったりする。背番号と入団の経緯、気分屋なところからモデルはボブ・ホーナーと思われる。風貌はマイク・グリーンウェル。
菅野 純 (すがの じゅん)
背番号42、右投げ右打ち。オリックス・ブルーウェーブの投手。
サッカーJリーグのシエロ姫路と掛け持ちしている(サッカーではMF)自称「和製ディオン・サンダース(アメフトと野球を掛け持ちしていた選手)」。1997年シリーズ最終戦のアスレチックス戦でプロ初マウンドに立つ。サッカーで鍛えられた足腰から150キロの直球、カーブ・フォークを武器にしている本格派だが、ひょんなことから打席に立つことになった毒島と勝負する。野茂英雄や伊良部秀輝の投球フォームを真似するひょうきんな一面も兼ね備えている。その経歴から、学生時代も野球部とサッカー部を掛け持ちしていたようで、いじめや理不尽な暴力にあっており、他の選手(特に世代が上の)にもあまり気に入られていない。ただしイチローには気に入られているようだ。
不破 明 (ふわ あきら)
背番号18、左投げ左打ち。千葉ロッテマリーンズの投手。
白武高校卒。ハロルド作石の前作『ゴリラーマン』で、球技大会の際に「ゴリラーマン」池戸定治にホームランを打たれた野球部のエース・不破の数年後の姿である。3種類に投げ分けられるスクリューボールが武器。

その他

宮道 貴恵(みやみち たかえ)
毒島の幼馴染というか腐れ縁。大の野球ファンで、毒島のプロ入り後はアスレチックスファンとして球場に足を運ぶ。毒島からプロ初勝利を挙げたボールを贈られたり、毒島とは互いに好意を抱いている様子。
戸田 シンペー(とだ しんぺー)
毒島の広橋中学時代からの悪友その1。中学1年の春に毒島にケンカを売るが、毒島必殺の「一本足(フラミンゴ)頭突き」を食らい以後行動を共にしている。その後音楽の道を志すもあっさり断念。1997年のアスレチックス優勝をかけたダブルヘッダーの2試合目を見るために川上と駒沢フィールドへ行くが、満員のため入れなかった。
川上(かわかみ)
広橋中学時代からの悪友その2。ボウズ頭にメガネをかけ太っている。中学時代はおそらくバスケ部。そのときに「真夏のダブルヘッダー事件」を目撃している。毒島がプロに行ったあとモテるためダイエットし成功するものの、リバウンドしている。
真喜志(まきし)
広橋中学時代からの悪友その3。大きな目をした濃い顔。その後アート(カメラマン)の道へ。彼が撮った、彼によく似た母親の写真は川岸の手に。優勝をかけたダブルヘッダーの時には出てきていない。なお、シンペー、川上、真喜志は、毒島や貴恵とは違う堂上商業に進学している。
赤沼 由美子(あかぬま ゆみこ)
毒島がシーズンオフのウインターリーグでハワイに滞在していた際に知り合った女の子。その後日本で再会し毒島が好意を寄せていくが、毒島がスランプに陥った頃に電話で振ってしまう。アスレチックスのオーナーと苗字が同じだが、関係は不明。
志穂(しほ)
アスレチックスのチアリーディングチーム「アスレチックガール」の1人。モデル並みにスタイル抜群でダンスも上手く、チックくんにダンスの基本を教える。毒島とは仲がよく、チックくん(三宅)には好意を持っている。
金城(きんじょう)
スポーツ新聞記者で、ウェイクの高校時代の友人。ウェイクの話を聞き、スポーツ紙記者の仕事を放り出してチックくんの正体を暴こうとする。また同じ作石作品の『BECK』にも登場。片平哲也にインタビューをしており、音楽雑誌の記者に転身したのかと思われる。
内田 順子(うちだ じゅんこ)
1997年シーズン中にアスレチックスの身売り先に名乗りを上げた企業「ロイヤル製菓」の女社長。野球に関する知識は全く無い(黒田によれば取引を有利にする為、ただプロ野球チームを持つというステータスが欲しいだけらしい)。チックくんを嫌っており、新マスコット「ムッシュ・グルヌイユ」というカエルのキャラクター(グルヌイユとは、アカガエル属のフランス語である。:fr:Grenouille)や、ピンクのユニフォームにしようとしていた。製菓会社の女社長という設定は、川原泉の『メイプル戦記』に登場する立花小雪オーナーと共通する(ただし性格は正反対)。名前は内田順三に由来か。

実在の人物

肩書きおよび所属球団は1996-1997年当時。ストーリー上、全般的に西武と日本ハムは登場頻度が少なめで、近鉄もフィッシュバーンがいる関係で佐々木監督以外の登場シーンは少ない。また当時の各球団のマスコットキャラクターも登場し、チックくんによくケンカを売られる。

  • 上田利治(日本ハム監督)
  • 東尾修(西武監督)
  • 仰木彬(オリックス監督)
  • 江尻亮(ロッテ監督)
  • 王貞治(ダイエー監督)
  • 佐々木恭介(近鉄監督)
  • 近藤昭仁(ロッテ監督)
  • 伊良部秀輝(ロッテ)
  • 小宮山悟(ロッテ)
  • 河本育之(ロッテ)
  • 初芝清(ロッテ)
  • 堀幸一(ロッテ)
  • 吉鶴憲治(ロッテ)
  • 小坂誠(ロッテ)
  • イチロー(オリックス)
  • 星野伸之(オリックス)
  • 田口壮(オリックス)
  • 谷佳知(オリックス)
  • 松井稼頭央(西武)
  • 鈴木健(西武)
  • 鈴木貴久(近鉄)
  • 山本和範(近鉄)
  • 城島健司(ダイエー)
  • 工藤公康(ダイエー)
  • 小久保裕紀(ダイエー)
  • 落合博満(日本ハム)
  • 緒方耕一(巨人)
  • 野村克也(ヤクルト監督)
  • 古田敦也(ヤクルト)
  • 吉井理人(ヤクルト)
  • 石井一久(ヤクルト)
  • 高津臣吾(ヤクルト)
  • 西本幸雄(元近鉄監督、解説者として登場)

ほか多数。

続編について

ハロルドが月刊少年マガジンにて『BECK』を執筆中の2000年頃、この『ストッパー毒島』の続編を近日中に連載開始するという情報が一部マスコミから流れたことがあった。これはマガジン関係者がプロ野球春季キャンプに取材に訪れていた為で、松坂大輔も毒島達との対決を熱望していた。松坂は連載中まだ高校生であったが、当時から本作を愛読しており、「ブスジマチェンジ」を本当に投げようとしたこともあるという。和田毅も「ブスジマチェンジ」にヒントを受けてチェンジアップを投げるようになったことを公言しており、テレビ番組で握りを見せたときも「ブスジマチェンジ」のそれであった。

続編の構想自体は頭に描いているようで、ハロルドが2003年9月25日放送のNHK『トップランナー』に出演した際には本作の続編の構想をノートに書き続けていると話した。ただこの時に、「依頼があったわけでも発表の当てがあるわけでもないし、実際に書くかどうかも分からない」とも語っていた。ハロルドがこの作品に対して、非常に強い愛着を持っているのは確かだろう。また「球漫」での伊集院光との対談によれば次回作は三木監督の葬式から第2部のストーリーを始めようかと語っている。ヤングマガジンの最終連載後のインタビューでは、「もし、銃を突きつけられて『続きを描け!』と言われたらすぐにでも描ける」とも発言している。

2008年11月1日に行われた『BECK』最終34巻発刊記念のサイン会では、ファンの問いかけに対して「『毒島』の続編は書きません」と答えている。

備考

  • 当作品に『ゴリラーマン』の不破が登場しているように、ハロルドの漫画の世界はリンクしている。『BECK』の作中でも「毒島今季絶望」の新聞記事が登場したり、毒島のチームメートである火野が『BECK』の主人公・コユキの高校のOBであったりする。
  • チックくんが発明した「どこでもブルペン」は実際に市販化されている。
  • 優勝のかかったロッテとの最終戦ダブルヘッダーは、1988年に実際にあった近鉄とロッテの伝説の試合、いわゆる10.19に酷似している。このとき、近鉄はアスレチックス同様、M2でダブルヘッダーを迎え、引き分けに終わり優勝できなかった。作中にも近鉄の選手が当時のことについて語るシーンがある。
  • 作者本人もインタビューで、最終戦のダブルヘッダーは10.19のオマージュとして描いたと語っている。