HOME > コミック > 三国志

三国志/横山光輝

共有

著者: 横山光輝
巻数: 24巻

横山光輝の新刊
三国志の新刊

最新刊『三国志 第24巻(祁山の戦い)


thumb|200px|三国志『三国志』(さんごくし)は、横山光輝による日本の漫画。1971年から1986年まで、潮出版社『希望の友』『少年ワールド』『コミックトム』に連載された。単行本は全60巻(文庫版は全30巻)が潮出版社から発売されている。近年も、カジュアルワイド(全25巻)、愛蔵版(全30巻)などの形で度々再版されている。

概要

横山光輝の代表作の一つ。吉川英治の小説『三国志』を元に独自の解釈等を織り交ぜて描かれた作品。「吉川三国志」が諸葛亮の死で終わっているのに対し、本作は蜀が滅亡するまでを描いている。

三国志を描いた漫画は多いが、話の途中で終了したり、換骨奪胎したものや、特定の人物だけを主人公として描いたものが大半であり、黄巾の乱に始まり蜀の滅亡までを描ききった長大な作品は現在でも横山光輝版のみである。これをきっかけに中国史へ興味を持ったという読者が数多くおり、大人も子供も読める漫画として定評がある。

この作品によって横山光輝は1991年、第20回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した。

表現

単行本20巻までは児童向け雑誌である『希望の友』で発表されていたこともあり、登場人物の台詞や表現が子供でも分かり易いように配慮されていた。

また、張飛が孫悟空の緊箍のような輪を身につけた、向こう傷の大男に描かれたり、ひげを生やした十常侍(詳細は宦官を参照)、ひげ面で巨漢の呂布、そして痩せている董卓など、一部の登場人物の外見は『三国志演義』には基づいておらず横山のオリジナルになっている。後漢末を描いた作品ながら、連載初期には登場人物の服装が唐・宋の時代のものになっているが、当時は中国との国交も完全には回復しておらず、後漢末期の風俗を記す資料などが手に入りにくかったとする旨のコメントを横山自身が寄せている。そのため、徐州太守の劉備が天子しか付けることを許されない冠をつけていたなどの連載中に見つけた不都合点をコミック版になってから修正したほか、以後も官職や時代に合っていなかった服装などを、テレビのロケなどで中国に幾度も訪れて始皇帝陵などを参考に研究し、1997年に発売された文庫版で「一新」としてこれらの修正を加え、言葉なども一新した。

また、相当な長編であるため、長らく登場しなかった人物が骨格までまったく別人のようになって再登場する事もある。なお、劉備を中心に描いた事や連載誌変更の都合で官渡の戦いから袁氏滅亡に至る曹操の華北平定という魏建国の基礎にあたるエピソードがほとんど削られている。また、その結末も蜀の滅亡で完結し、晋統一までは描かれていない。したがって孫権の太子騒動や孫権の死、蜀漢滅亡後に発生した姜維・鐘会の反乱、司馬昭の息子で晋の皇帝となる司馬炎も描かれず、登場しない。

登場人物

※()内は希望コミックス登場巻

本作の軸となる国。首都は成都。険阻な山岳に守られた要害の地。

君主

劉備
本作の主人公。(1~45巻)
字は玄徳、本作では主に字で呼ばれる。幽州琢県の楼桑村に住まう母親思いの心優しき青年。母と共に筵や草履を売って生計を立てていたがある時、母から漢王室に繋がる自分の出生の秘密を知らされ、疲弊した世を正し民衆を救うことが自分の天命と悟り、義兄弟の契りを結んだ豪傑、関羽、張飛と共に漢王朝復興を目標に立ち上がる。徳を備えた英傑であり民からも敬愛される人望の持ち主ながら、義理人情を重んじるあまり長らく雌伏の苦労を味わう。しかし稀代の軍略家・孔明を軍師に迎え入れたことで進むべき道を定め、天下に覇を唱えんとするライバル曹操に対抗する。
劉禅
蜀漢二代目皇帝。
玄徳の子。幼名は阿斗。皇帝に即位した時は普通の青年として描かれていたが、回を重ねるにつれ肥満した容貌となり、優柔不断で周りの言葉に振り回される暗愚な人物として描かれる。趙雲には二度助けられている。

蜀将

諸葛亮
蜀の軍師。玄徳の死後、物語後半の主人公。(21 - 59巻)
字は孔明。水鏡先生から「伏竜」と称された逸材で、荊州の草蘆に隠遁していた。
発明家の一面も併せ持ち、木牛流馬や木獣、連弩などを発明したこともある。重要な会話を盗み聞きされないよう羽扇を常に携え、四輪車で行動するのが特徴。
玄徳に三顧の礼によって迎えられ、「天下三分の計」を提案する。幕下に迎えられてのちは「水魚の交わり」と比喩される親密な主従関係を結ぶ。神算鬼謀によって赤壁の戦いや蜀平定戦などにおいて貢献し、玄徳の臨終の際には蜀の後事を託される。玄徳の遺志を継ぎ、出師の表を劉禅に提出して数度に渡り北伐を実行する。
龐統
玄徳の副軍師。
水鏡先生から「鳳雛」と称された逸材で、智謀は孔明と比肩する。
名声は轟いていたものの、汚い身なりと無愛想な態度をとっていた。周瑜の招きにより呉陣営に加わり連環の計を実行する。周瑜の死後、魯粛の推挙で孫権に招かれるも、その横着な態度により怒らせたため起用されず、孔明の推挙で玄徳に執り立てられた。
玄徳に絶対的な信頼を置かれる孔明に多少の嫉妬感を抱いたことで、悲運の最期を遂げる。
『三国志演義』で描かれる容貌の醜さについては服装を汚くするという表現を取っており、特に劣った面相としては描かれていない。
関羽
玄徳の義弟であり、義兄弟の中では次兄にあたる。五虎大将軍の一人。(1 - 42巻)
字は雲長。大きな体躯と立派な顎鬚が特徴の豪傑で徐州で王忠と戦う以前は、太刀をそれ以降は青龍偃月刀を武器とする。義弟の張飛とは異なり理知的な性格である。
子供を相手に塾を開き学問を教える生活をしていたが桃園の誓いにより玄徳の義兄弟となり、以後付き従うことになる。張飛とともに一騎当千の武芸と、「関羽の不覚は一度も見たことがない」と称されるほどの用兵で天下に恐れられる。一時曹操の下に降るも、玄徳が生きていることを知ると曹操の下を去る。その様子を描いた決死の千里行は見所の一つ。その後は荊州の守備に就いた。部下には人望が厚かったが、気位が高すぎたのがきっかけで、内部の他の武将・役人には疎遠されてしまい、呉による荊州侵略の遠因となる。
最後の最後で自らの奢りから当時無名だった陸遜に不覚を取ってしまいそれが悲運の最期を招く。
張飛
玄徳の義弟で末弟。五虎大将軍の一人。(1 - 43巻)
字は翼徳。玄徳と知り合う前は幽州の鴻家に仕え、それまでの戦いで808人もの敵を倒したことから「八百八屍将軍(はっぴゃくはっししょうぐん)」と呼ばれる。その後鴻家は黄巾賊に滅ぼされ、主君の仇を討つため黄巾賊に入り機会を窺っていたところで玄徳と出会う。桃園の誓いよりに義兄の関羽同様、玄徳に付き従うことになる。
荒々しい風貌で玄徳と再会した際に顔に初登場時にはなかった刀傷が出来ていた。関羽と並ぶ巨躯を誇る豪傑で蛇矛を武器とする(玄徳が徐庶を召し抱えた頃から蛇矛を本格的に使うようになり、それまでは薙刀のような武器を使っていた)。常人なら3人がかりでも持ち上げられない薙刀を片手で楽々と扱う桁外れの腕力を有し、関羽をして「拙者より義弟張飛のほうが強い」と言わしめる猛将。性格は単純かつ短気でやや思慮に欠ける他、酒癖が悪いという欠点があり、しばしば痛手をこうむることもある。しかし後半は礼節をもって敵将と接したり、策略を用いるといった将としての風格を徐々に身に着けるようになるが、最後は欠点である短気さと思慮浅さから部下の恨みを買ってしまい、無残な最期を招く。
趙雲
蜀の宿将、五虎大将軍の一人。(6 - 53巻)
字を子龍。細い目が特徴の偉丈夫。諸国を旅し袁紹、公孫瓚と仕えるが、どれも仕えるべき器の人物ではないと感じ主君を変える。やがて玄徳と主従の関係を結ぶことになる。実直かつ冷静な性格に加え「全身肝っ玉」といわれる度胸の良さで多くの戦に貢献する。玄徳に「真の武士」と称される実直な武士。槍術に巧みで、関羽、張飛と並ぶ武勇の持ち主。孔明の北伐の際に一気に老け込む。その他三国志の創作作品ではしばしば美丈夫に描かれるが、本作品では屈強な武士然とした面相で描かれている。
黄忠
五虎大将軍の一人。(28 - 43巻)
関羽と渡り合うほどの腕を持ち、百発百中の弓の名手でもある老将。元は狭量な太守、韓玄に仕えていたが、荊州平定の際に玄徳に説得され配下となる。自らの年齢に対する焦りもあってか、常に戦に命を投げ打つ覚悟がある。
策を用い、成功を収める場面もあるが、自負が過ぎて無茶をしすぎてしまうこともしばしばある。
定軍山の戦いでは法正を副将に携え、大将を務め見事に夏候淵を討ち取った。
夷陵の戦いでは若い世代に負けるかと負けん気を発揮するも、重傷を負ってしまい死亡する。
馬超
五虎大将軍の一人。(30 - 49巻)
曹操に父馬騰と弟達を謀殺され、韓遂と共に復讐戦を起こすも曹操の策略により韓遂に裏切られ敗れる。
漢中の張魯に身を寄せ恩を返す為に成都の援軍に向かうも張魯配下に裏切られて玄徳の下に降り臣従する。
余人は武勇誉れな馬超をみて「西涼の錦馬超」と称し、西方の異民族も「神威大将軍」と畏敬の念を抱いている。
武勇においては張飛と互角に渡り合うほどの実力を持ち、何度か異民族の侵入も阻止している。
晩年は目立った描写が無くなり、南征が終わった後に死去したことがわずかに語られる。
姜維
若くして長老も舌を巻く知識を持ち、さらには趙雲、魏延との一騎打ちにも一歩も引かない文武両道の将で「天水の麒麟児」と異名を取る。(50 - 60巻)
当初は魏将として登場し、孔明に初めての敗北を味わわせる。その才能を見込んだ孔明の計略によって蜀に加わる。
以降、孔明の軍略を受け継ぎ、孔明の臨終の際には蒋琬、費禕らと共に後事を託され、孔明死後は主役格として蜀の北伐を指導する姿が描写される。
幾度か奮戦するも功実らず、果たして魏の鄧艾が成都を降伏させたことを知ると、部下と涙しながら自らの剣を折って無念を嘆じた。
史実ではその後、鍾会をそそのかして謀反を起こさせるも、失敗して魏兵に殺されるが、本作では省かれている。
魏延
蜀の猛将。(28 - 59巻)
韓玄から黄忠を助ける為に立ち上がる。韓玄を裏切ったことを孔明から咎められるが、劉備のとりなしで配下になっており『三国志演義』においての「反骨の相」の逸話は、本作では後づけ設定。
実は曹操が荊州に攻めて来た時にも襄陽城へ誘導しようとして登場しているが劉備達は城内が混乱しているため入城を断念している。
五虎大将軍が全員亡くなった後、蜀の主力として活躍するが、孔明とは戦略を巡って度々衝突するようになり、不遜さが目立つようになり前述の反骨の相の話が出るのはこの時で、その後、呉の孫権からもこのことを指摘されている。
孔明亡き後、楊儀と対立し謀反を起こし自ら蜀の覇者を目指すも、馬岱に斬られる。
劉封
樊城の県令劉泌の甥で元の名は寇封。劉備が樊城を陥落させた際、面会した劉泌の傍らにいたところを劉備に気に入られて養子となる。
作中において、当初、関羽の養子である関平と組むことが多かったが、関平が荊州に戻ると代わりに孟達と組むことが多くなる。
初登場から20年近くに渡り劉備配下の将として活躍しているが、一貫してあどけなさの残る若武者といった容貌に描かれている。
関羽が麦城で苦戦に遇い、援軍を要請されたが孟達に反対され、やむなくこれを断ったため、関羽戦死の一因を作ってしまう。
その後魏に寝返った孟達の討伐を命ぜられるが敗走。激怒した劉備は処刑を命じたが、処刑後に劉封が忠実であったことを知って悔恨した。
馬良
荊州に隠遁する有能な士。馬謖の兄。
白い眉をもった若者で、馬良の兄弟みな優秀であると評判だがその中でも最も優れており「馬氏の五常、白眉最も良し」と謳われる。
その事から、孔明の推挙と伊籍の口添えにより劉備配下になる。長沙、桂陽などの四郡取りを進言する。
馬謖
馬良の弟。
若くしてその才能を孔明に見出され、馬謖もまた孔明を師父と仰いだ。街亭の戦いの大将を務めたが、魏を侮り、功を焦り、己の才能への過信もあって大失態を犯し、優勢だった蜀軍は総撤退となった。「泣いて馬謖を斬る」の語源。
馬岱
馬超の従兄弟。(30 - 59巻)
馬超と共に劉備に降る。南征、北伐で活躍する。
蜀に尽くし孔明に「忠義の士」と評された。劉備の死後あたりからは一気に老けた顔立ちになった。
孔明が魏延を始末しようとして失敗し魏延が激怒した際には、馬岱に責任があるとされ、五十杖の刑を受け一般兵へと降格させられる。しかしそれは孔明の策であり、孔明死後反乱を起こした魏延と行動を共にし隙を見て魏延を討ち果たし、魏延の官爵を引き継いだ。
王平
蜀の武将。(39 - 59巻)
元は魏に仕えていたが、徐晃が背水の陣を敷いて敗戦した際、救援に行かなかったため罪を擦り付けられることを恐れ、蜀に降る。その後は、蜀軍の主力の一人として活躍する。何事にも慎重に取り掛かり軍令を厳守する。
李厳
蜀の食料長官。
元は劉璋に仕えていたが後に劉備に降る。黄忠との一騎打ちに引き分けたこともある優れた将。孔明も、南蛮出兵の際には、陸遜に太刀打ちできるとまで信頼していた。
北伐中に兵糧輸送に手間取り、「魏と呉が手を結んだ」と偽って蜀軍を総撤退させ、それが露見し責任を問われ処刑されそうになるが、かつて劉備に後事を託された功臣でもあったため蒋琬により助命され、平民に落とされる。
孟達
元は劉璋の配下であるが、蜀の未来を憂いて暗愚な劉璋を見限り、友人である張松・法正らと共に劉備に味方する。
己の利害を優先したために関羽戦死の一因を作ってしまい、魏に亡命する。
後に蜀に帰参しようとするが司馬懿を甘く見たのが祟り、最後の悪あがきで徐晃を射殺するも、謀反失敗で命を落とす。
楊儀
北伐の際に孔明の側近として登場する。文官として孔明に重用され、その死去の際には蜀軍撤退の宰領を任されるが、孔明が後事を託したのは楊儀ではなく蒋琬、費禕であった。そのことを不満に思い酒の席で部下に叛意を露見させるも、それを恐れた部下が通報した。話を聞いた劉禅が怒り処刑しようとするも功績が考慮されて処刑は免れ、平民に落とされる。後に平民に落とされたのを恥じて自害した。
なお、孫権が蜀の使者として訪れた費禕に「魏延も楊儀も会ったことはないが伝え聞くに大した人物ではない、孔明ほどの人がなぜそんな小人を用いているのか」と言う描写がある。
関興
関羽の息子で、父の仇を討つために夷陵の戦いより参戦。
張苞と義兄弟の契りを結び、関羽に勝るとも劣らない武勇で後期の蜀の戦闘に度々参加し蜀を盛り立てた。父の仇を討つために夷陵の戦いより参戦。しかし若くして亡くなり、孔明を嘆かせ、蜀の人材不足の一因となる。
張苞
張飛の子で、父の仇を討つために夷陵の戦いより参戦。
関興と義兄弟の契りを結ぶ。父である張飛に勝るとも劣らない武勇で後期の蜀の戦闘に度々参加し蜀を盛り立てた。しかし、北伐の際に谷に落馬し深傷を負って殉死した。
夏侯覇
魏において司馬氏の専横に反発して叛乱を起こすも失敗し、蜀に亡命する。彼の亡命をきっかけとして、姜維は北伐の再開を建議して認められる。
ちなみに魏略において夏侯覇の妹は張飛に囲われて妻となり張飛とその妻との娘が劉禅の妃となるが、本作中ではその言及はされていない。
なお、同名の人物が以前に登場しており、長坂橋の戦いで張飛に一騎打ちを挑み川に突き落とされる。

その他

玄徳夫人
玄徳の最初の妻。玄徳には「奥」、配下には「奥方」とのみ呼ばれており本名は不明だが、劇中の描写からして縻夫人であろうと推測される。徐州陥落時には曹操の元で関羽に守られていた。その後新野に移った玄徳との間に阿斗(後の劉禅)をもうける。荊州を南下する曹操軍から逃走する最中、玄徳軍の元からはぐれてしまう。趙雲が発見した際には既に深手を負っており、阿斗を趙雲に託して井戸の中へ身を投げた。史実において玄徳の夫人となるのは、徐州時代の甘夫人と縻夫人、荊州時代の孫夫人(孫権の妹)、益州時代の呉夫人であり、このエピソードの時には甘夫人と縻夫人の2人の妻がいるはずなのだが、一夫一婦制の日本において妻が同時に2人いるというのは馴染みがないという作者の思惑から、本作では再婚はするも玄徳の妻は一度に一人ずつしか登場しない。なお、呉夫人は本作には登場しない。

首都は洛陽。中国の3分の2を支配する大国。玄徳のライバル曹操がその礎を築いた。

君主

曹操
字は孟徳。乱世の奸雄と評され、玄徳の事を最も危険視する最大のライバルである。(2~42巻)
若い頃より出世と戦功を重ねて力をつけ、戦に敗れる事もあるがそれをバネに強さを増していく英傑。才能ある人物を愛し、使いこなす度量を持つ。一方で野心家かつ非情なほど冷酷な一面があり、自身を匿ってくれた恩人の呂伯奢を「自分を殺そうとしている」と勘違いをして呂伯奢の家族を殺害し、後に誤解と判明しても己の行為を正当化し「家族が殺されているのを見たら訴えるに決まっているからその憂いを除く」と呂伯奢まで殺害した上、「俺が天下に背こうとも天下の人間が俺に背くことは許さん」と開き直る。また、投降した人物を利用した後に殺害したり、兵士の兵糧不足への不満をそらすため食糧総監・王垢に食糧をごまかして私腹を肥やしていたという無実の罪を着せて処刑したりするなど、自身の障害回避や目的達成のためには他人の命を平然と奪うことをやってのけるという点において、玄徳とは相対する存在である。
物語序盤の黄巾賊や董卓、袁術、袁紹、呂布など漢王室の平和を脅かす悪役が存在した頃は主人公の玄徳とは競合しながらも、悪に敢然と立ち向かう言わばダーティーヒーロー的役割を担っていた。それら群雄を滅ぼした後は、今度は自身が漢王室を脅かし、玄徳の前に立ちふさがる悪役として役付けされるようになった。なおその頃から髭を生やすようになっている。
作者である横山自身も気に入っているキャラクターであったと尼子騒兵衛は述べている。
赤壁の戦い敗退後に関羽に出くわした際の「げぇっ関羽」というフレーズがインターネットスラングとして定着。2ちゃんねるの三国志・戦国板ではこのコマのコラージュが使われている。
曹丕
曹操の嫡男、魏の初代皇帝。(40~49巻)
曹操と卞皇后との間の子の中では長男となる。弟曹植との間で後継者争いをするが曹操の死後、正式に後継者となるも若くして逝去する。
曹叡
曹丕の息子、二代目皇帝。(49~60巻)
就任直後は若く、馬謖の策略にはまり司馬懿を罷免するが、復職させた後は彼を重用し蜀・呉の侵攻を防いだ。自らも親征して呉軍を打ち破る将才の持ち主。孔明の死後は気が緩んだのか愚行に走る。

魏将

荀彧、郭嘉、程昱
曹操軍の軍師。史実で見られる曹操軍の強さには優れた人材が集まるという点にあり、曹操軍の軍師や武将達もクローズアップされる傾向にあるが、本作の特徴として曹操自身の才能がよりクローズアップされるように配下の軍師達は出しゃばらず、交互に登場して曹操の相談役に徹する程度である『横山光輝三国志事典』頁122 第5章 総登場キャラクター事典「程昱」の項より。
司馬懿
魏の軍師。(37~60巻)
字は仲達。孔明に匹敵する策略家。曹操存命中はわずかに顔を出す程度だったが、徐々に頭角を現し、孔明の最大のライバルとして立ちはだかる。「臆病者」とさえ後ろ指をさされるほどの慎重さとその戦略眼は孔明でさえも危惧するほどであり、孔明と馬謖の策によって一時失脚の憂き目に遭うが復帰し、蜀軍の北伐に対する魏軍の司令官として何度も対峙、孔明と知を競い合う。孔明の知略の前には一歩届かず殆どの合戦で翻弄されるが、蜀軍を魏国内に侵攻されないように苦心する。曹叡死後、白髪になるが聡明さは消えていなかった。なお、敵である孔明を高く評価している点はやはり孔明のライバルであった周瑜と共通しているが、ライバル意識は異なっており、自身が息を引き取る際に「なんとすばらしい男であったろうか。あの世ではゆっくりと教えを乞いたい」と最大級の賛辞を述べていた。
なお、司馬懿が孔明の策略に対し常に疑うことから「孔明の罠」というインターネットスラングが生まれた。
曹真
魏の大都督。60巻で司馬懿と対立する曹爽の父。
曹丕に後事を託されたのが初登場。北伐の際には孔明と対戦する。孔明も「さすがは曹真、夏侯楙とは雲泥の差」とその布陣を見て述べたほど将としては優れているのだが、相手が孔明だったのが運の尽きで常に裏の裏をかかれ連戦連敗し、心労から二度病に倒れてしまう。
最期は孔明が曹真の病状を探るために書いた挑発的な書簡により病状が悪化し死亡。
曹仁
曹操一族の武将。
荊州での戦い以降、表に出ることが多くなった武将である。当初は猪突猛進の所があり、孔明の罠にかかり見事に撃退されることがあったが、赤壁の戦い以降は呉からの攻撃に耐える守将として活躍し、周瑜・関羽と対峙。特に後者では見事守りきっている。
曹洪
曹操の一族の武将。曹仁、曹洪は作中において「曹操の弟」と表記される。
曹操挙兵時から曹操に仕える。董卓討伐戦では逃亡した董卓を追撃したものの、李儒の策略にはまり味方が全滅し、敵に囲まれ負傷した曹操を単騎で救い、敵に追い詰められ自害しようとした曹操を説得し、背中に曹操を背負い味方の応援が来るまで耐え、曹操からの信頼を得る。
曹操が漢の政権を握ったあとは、顔つきや容貌が変わり主に曹操の一軍の総大将としてたびたび任命される。しかしあまり有能な一面は見られない上に血気盛んで敵の挑発に遭って失敗するなど、専ら「敗軍の将」として描かれることが多い。
曹休
曹操一族の武将。
石亭の戦いでの総指揮官で、戦いの際に降ってきた呉将周魴を当初は疑うも、髪を切り落とし決意を見せたことに感服し信頼してしまう。部下の賈逵の進言を聞き入れなかったため、周魴の降伏が偽りだと気付かず大敗。賈逵によって窮地を救われ、意気消沈し帰国後背中に腫れ物が出来て病死した。
夏侯惇
曹操一族の武将。
勇猛苛烈な将。呂布との戦いの際に左眼を射抜かれ、以後隻眼の武将として描かれる。『演義』や「吉川三国志」では射抜かれた左眼を食べるというシーンがあるが、本作ではそこまでは描かれていない。なお、本作では「吉川三国志」に倣いかこうじゅんと読まれる。
夏侯淵
曹操一族の武将。
徐州攻防戦での際は穏やかな顔つきだったが、漢中制圧戦以降は血気盛んな顔つきに変わっている。
典韋
魏の武将。
殷の紂王に仕えた猛勇の将にちなんで悪来と呼ばれる。盾の裏に忍ばせた飛刀を敵に投げつけて倒すという離れ技を持つ。
曹操のボディーガードとしても活躍。曹操宅が襲われた際、曹操を逃がすために仁王立ちのまま全身に矢を受け、死亡する。
許褚
魏の武将。
元は賊に対抗して戦っていた農民だったが、典韋に匹敵する武芸を曹操に認められて配下となる。
馬超との一騎打ちでは自ら甲冑を脱ぎ捨て、半裸ながらに凄絶な打ち合いを演じた。曹操軍では武勇第一と名乗っていた。
張遼
魏の武将。
合肥の戦いでの戦いぶりから「泣く子も黙る張遼」との異名を持つ。元・呂布の配下。
関羽とは旧知の仲であり徐州で玄徳軍が壊滅した際に関羽に曹操軍に下るように説得する役目を負い、関羽が去った後に追撃し関羽に一騎打ちを仕掛けた夏侯惇に対し曹操からの手紙を渡して納得させた。
合肥の戦いでは冷静沈着に対応し、太史慈の策略を逆に利用して太史慈を討ち取り孫権を追い詰めた。
曹丕による二度目の呉征伐の際、丁奉の放った矢が腰に突き刺さり、その傷が元で死去したとされる。
徐晃
魏の武将。
大斧を武器にし、張郃と共に主に副将として活躍する。関羽追討戦では、関平の策を見破り関羽の陣を打ち破り関羽を追い詰める。
孟達が謀反を起こした際、矢に射られて死亡。
龐徳
馬超配下の武将で、後に曹操配下の武将となる。馬岱と共に馬超を補佐し馬超が敗北し共に張魯の元に落ちるが、病気中に馬超が劉備の元に降ったため、漢中の張魯の元に取り残される。その後、漢中に攻め寄せた曹操を追い払う為に曹操軍と対峙し、徐晃や許褚など曹操軍の中でも猛将と称される武将と一騎打ちをしてひけを取らなかった。張魯配下の楊松によって張魯と仲違いし曹操に降る。後に曹操に信任され、荊州の関羽と対峙する際には出陣前に棺桶を用意し、「関羽の骸を棺に入れるか、さもなくばわしが死体となって棺に入るのみ」と決死の覚悟で戦に臨む。
張郃
魏の武将。夏侯淵、仲達の副将を務める。
曹洪の指示を一蹴し、漢中の攻防で張飛の策略に欺かれてしまう。敗れて後は一転して慎重になる。漢中攻略の際は孔明に夏侯淵と共に「一国の将帥としての器量は不足」と評されていたが、北伐の際に孔明からはその勇猛さから仲達の次に取り除かなくてはならない人物として警戒され、血気にはやった所を孔明に敗れる。
趙雲と同年代なので北伐では高齢のはずだが、容姿の変貌は無い。もともとは袁紹配下から曹操についたのだが、官渡の戦いが省略されたため最初から曹操配下として登場する。
郝昭
魏の忠臣。
知勇兼備の名将。陳倉の戦いで陳倉城の防備を任され、「こうまで苦労した城攻めは初めて」と孔明を悩ませる。
後に病床についていた際、孔明の電撃作戦による衝撃で吐血し死亡、孔明は丁重に遺体を葬った。陳倉城は魏軍の拠点とされないよう徹底的に破壊された。
司馬師、司馬昭
司馬懿の息子。2人とも優秀な麒麟児。本作では西晋建国までの流れは描かれていないため、彼らがクローズアップされる事はなかった。ちなみに司馬昭の息子、司馬炎は登場しない。
鄧艾、鍾会
孔明の死後、司馬昭の指示で蜀攻略に乗り出す。なお、蜀制圧後の鍾会の反乱については一切触れられていない。

首都は建業。

君主

孫堅
反董卓連合に参加した諸侯の一人で、孫子の末裔であり「江東の虎」の異名を持つ勇将。若い頃に一人で海賊退治を行ったというエピソードを持つ。
後に袁術と呼応して劉表を攻めるが、敵の策略にはまり戦死する。
孫策
孫堅の長男。武芸に長けた人物。孫堅の死後、袁術の元に身を寄せていたが伝国の「玉璽」を袁術に渡すことで父の軍勢の一部を返還させることに成功。
以後瞬く間に江東を平定し呉国の基礎を築く。かつて覇王を称した項羽にあやかって小覇王と称される。妻は大喬。
江東平定後、曹操と内通していた許貢を船上で討つが許貢の部下に報復され負傷する。傷が癒えかけた時に道士・于吉が現れ、部下や民衆から人望を持って行かれてしまうことを恐れた孫策が無理難題を于吉に押しつけるが成功し、それに怒り于吉を殺害。だが于吉の霊に取り憑かれ治ったはずの傷が裂け危篤となる。(7~19巻)
孫権
孫堅の次男。後に呉の皇帝に即位する人物。兄からは、「国を取ることには向かないが、国を治めることは自分より上」と評される。
兄孫策の亡き後、後事を託されて弱冠19歳にして呉の主となる。曹操に対抗すべく、玄徳と同盟を結んで共闘するが荊州の領有権のことから必ずしも友好的には思っていない。年を取るごとに孔明も舌を巻くほどの大人物へ成長する。玄徳亡き後から登場数が薄れ、三国の雄の一端でありながらも晩年と死を描かれることが無かった。(7~57巻)

呉将

張昭
張紘と2人で「江東の二張」と称される知識人。その噂を聞いた孫策に口説かれ謀士になる。孫策が遺言に「内なる事は張昭に、外なる事は周瑜に相談せよ」と遺すほど、呉の長老的な人物になる。史実では謹厳で剛直な儒者であったが、横山三国志では、常に孫権のかたわらにあって外交上の策略を助言する役目である。なお、孫策時代と孫権時代で大きく容貌が変わっている。
赤壁の戦いでは孫権に曹操への降伏を勧めるが、周瑜に一蹴される。
周瑜
字は公瑾。呉軍の水軍の総指揮を任される水軍大都督で、美男子であり「美周郎」の異名を持つ。そのため初登場時にはかなり睫毛が長く描かれ、その美形ぶりが際立つ描写であった。その才能は「水軍を操らせたら周瑜は天下一」と孔明でさえ認める。呉随一の切れ者ではあるが孔明の権謀策術には度々翻弄され、全てを見透かす孔明を危険視して何かにつけて殺そうとする。呉から孔明が去った後は何とか孔明の鼻を明かそうとするが、どうしてもかなわず、同じく孔明のライバルである仲達とは対照的に、「天はこの周瑜を地上に生まれさせながら、何故孔明まで生まれさせたのだ」と、死去する少し前に天を呪っていた。妻は小喬。姉の大喬は孫策に嫁いでいるので、孫策とは義兄弟にあたる。
魯粛
呉の腹心。曹操が100万もの大軍で呉へ押し寄せた際には、協力を求め劉備の所へ使者として現れる。
呉の大黒柱のひとりだが、孔明と周瑜の間に入り奔走させられる。温厚で正直な性格がたたり、上手く孔明に言いくるめられ周瑜に呆れられる。
呂蒙
荊州の守備を任された関羽と対峙する呉の司令官。相対する関羽は「呉随一の武将」と呂蒙を評価し、同じく荊州の領有権を争う魏の曹仁と対峙する間も呂蒙の動きについては常に警戒を怠らなかった。陸遜の才能をいち早く見抜き、孫権に陸遜のことを推挙する。なお、横山版では「関羽の祟り」という死因は採用していないが、その死因が「祟りであると囁かれた」とは記してある。
陸遜
玄徳自ら指揮する蜀軍の侵攻に対抗すべく抜擢された呉の司令官。知略に優れ、先の司令官である呂蒙からその才能を見込まれ、闞沢によって「国家の柱となるべき天才」と孫権に推挙され、馬良も「その知略は呂蒙や周瑜に劣らない」と評していた。元文官のために、軍の指揮官として抜擢された最初の頃は他の古参の武将からは「文弱の輩」として軽視されたが、75万の蜀軍が攻め寄せた夷陵の戦いにおいて計略によって撃退し、呉国存亡の危機を救う。その後、孫権から絶対的な信頼を得て当時の孔明・仲達に並ぶ名軍師として活躍することになる。
甘寧
呉の勇将。合肥の戦いでは、魏軍の大将である張遼に対抗して武名をとどろかせる。なお、凌統から強くライバル視されているが、孫権と劉表の戦いが全面的に省略されているため、「劉表軍にいた頃の甘寧が凌統の父を討った」という事情が描かれず、凌統が甘寧を意識する理由が不明となってしまった。
夷陵の戦いでは蜀呉で争っても魏が喜ぶだけだから争うべきではないと言いながら戦死した。
黄蓋
呉三代に仕えた宿将。周瑜の提案した苦肉の計を自ら引き受け、決死の計略を成功させた。
太史慈
呉の武将。かつては劉繇に仕え、その際に孫策と一騎打ちを行って引けを取らない強さを見せつけた。
孫策に敗れた後は配下となる。合肥の戦いで張遼の策略により矢で射抜かれ死亡。
徐盛
呉の武将。最初のうちは常に丁奉とセットで登場する。
夷陵の戦いで疲弊した呉を狙った魏が南下した際に総大将を引き受け、孫韶と対立するも自らの策略と孫韶の奇襲で撃退する。
諸葛瑾
孔明の実兄。主に魯粛の死後、しばしば命を受け、玄徳や関羽のもとへ外交官として訪れる。周瑜の命により孔明を引き抜こうとすることもあったがかわされる。
晩年は弟孔明の北伐に応じ将軍として陸遜の指揮下で北上して魏軍と戦うも曹叡の奇襲に油断し大敗、撤退した。
孫権が信頼を置いていた功臣の一人である。

その他

漢王室

献帝
本名は劉協。後漢最後の皇帝である。幼少の時にその利発さから董卓に強引に皇帝に祭り上げられ、董卓、李傕、曹操といった諸侯に「権威の象徴」として利用される。
なお、「献帝」という呼称は諡号にあたり、本来は死後に命名されるものだが、作中に登場する漢の皇帝(霊帝、献帝)は在位中ながら諡号で呼ばれている。また、李傕・郭汜の乱の際、曹操が迎えに駆けつける前までは、一人称が「水滸伝」の道君皇帝と同じ「余」か、「私」であったが、それ以後は中国の皇帝の一人称とされる「朕」になっており、これはその後皇帝の位についた本作や、それ以後の横山作品のキャラクターのほとんどに継承される。(3巻~43巻)
霊帝
本名は劉宏(作中では本名について触れられていない)。後漢第12代皇帝で十常侍を信任して政務を任せている無能な皇帝であるが、性格はそれほど悪くない。廃帝(皇子弁)と献帝(皇子協)の父。死去した際の語りが放送禁止用語の関係で一部改訂されている。(3巻)
十常侍
霊帝に仕える10人の宦官。漢王朝の腐敗の一因であり、政治に疎く幼い霊帝をうまく操り政治の実権を握る。
皇帝の身の回りの世話をする宦官(中常侍)の集団であり、霊帝の時代には特に権勢を振るった(『三国志演義』や本作では10名となっているが、正史『後漢書』では12名である)。作中では張譲と蹇碩の2名の名前が見られる。去勢男子である宦官は性ホルモンのバランスが崩れたことによって髭が生えなくなるあるいは薄くなるのだが、本作に登場する十常侍は豊かに髭を蓄えた人物も描画されている(のちに登場する蜀の宦官黄皓や、その後に執筆した中国歴史作品では宦官には髭を生やしていない)。
何進
もともとは平民で肉屋をしていた。妹が霊帝の妃(何皇后)となったことで大将軍にまで出世した人物。(3巻)
朝廷内において自分の権勢を強めたいがため、部下である袁紹に指示して政敵である十常侍を排除しようと企む。一度決めたことを何皇后にたしなめられたことで中止するなど、優柔不断な人物である。
なお、初登場のシーンの描写及び肉屋であったことから蔑まれる台詞が、単行本において途中の版から現代の放送禁止用語の関係で修正されている。
劉焉
玄徳率いる義勇軍が最初に指揮下に入った幽州の太守。(2巻)
義勇軍として訪れた玄徳達を歓待し、部下の鄒靖と共闘させて黄巾賊を迎え撃つ。なお、史実における劉焉はのちに益州太守として登場する劉璋の父親にあたり、幽州の太守に就いたという事実はないが、本作の原型となっている『三国志演義』では劉焉が幽州太守として登場する。
盧植
玄徳の学問の先生であり、黄巾賊の乱平定のために官軍を率いる将軍の一人。(2巻)
清廉な人物であり、腐敗した役人から賄賂を要求されても拒絶する。玄徳から師事されており、黄巾賊制圧に攻めあぐねていた際に玄徳率いる義勇軍の支援を受ける。
朱儁
黄巾賊討伐の官軍を率いる将軍の一人。(2巻)
玄徳率いる義勇軍が応援に駆け付けた際、初対面の時は冷遇していたが、再び出会った時には各地でおける玄徳たちの活躍を知り、上手くおだてて黄巾賊に当たらせようとする。なお義勇軍の戦功を自らの戦功として朝廷に報告するが、十常侍へ賄賂を渡さなかったとして免職された。本作および『三国志演義』での朱儁は、将軍とは言うものの器が小さく無能で朝廷の腐敗を象徴する人物の一人として描かれているが、史実における朱儁は一軍を率いる有能な将軍として記述されており、そのギャップが大きい人物である。
貂蝉
漢王室の元老王允の娘で稀代の美女。(7巻~8巻)
養父王允が国を董卓に牛耳られている状況を憂いているのを見て、自ら董卓と呂布に近づいて2人の仲を引き裂く「離間の計」を実行する。本作の原型となった『三国志演義』で創作された人物である。
董承
車騎将軍、献帝に仕える漢の忠臣。(9巻~17巻)
董卓亡き後、李傕と郭汜の手によって捕われの身同様であった献帝を長安から脱出させる。のち、曹操の庇護の下にいる献帝は、日増しに増長する曹操を見て、何とか排除しようと董承に密書を送り、その計画は劉備を巻き込んで、曹操と劉備との関係を大きく変動させることになる。
督郵
督郵とは人名ではなく地方監察官を意味する官職名を指し、本名は不明。(3巻)
黄巾賊討伐の功で県令となった劉備のもとに登場し、劉備を百姓上がりと侮辱したばかりか、劉備が賄賂を持ってこないのに腹を立て無実の罪を着せようとする。激怒した張飛が督郵を鞭で死ぬほど打ち、劉備・関羽・張飛の3人は官職を捨て流浪の身となる。
史実では督郵を鞭で打つ役は張飛ではなく劉備であり、この部分もまた『三国志演義』での創作である。張飛が督郵を鞭打つシーンは、一般市民が悪い代官を打ちすえて懲らしめるのと重なり、京劇でも拍手喝采が起こる痛快なシーンの一つであり、本作でも採用されている。

群雄

張角、張宝、張梁
黄巾賊の乱の指導者。
南華仙人から太平要術なる書物を授かり仙術を身につけた張角は大賢良師天公将軍と名乗り、弟張宝、張梁をそれぞれ地公将軍、人公将軍と名乗らせ、多くの弟子を従えて黄巾賊の乱を引き起こす。最終的には劉備ら朝廷軍の前に敗北するも、黄巾の残党は漢王室の混乱に乗じてその後も反乱を繰り返していた。
董卓
西涼にあって20万の大軍を率いる豪族。
黄巾の乱の際には劉備に助けられたにもかかわらず官職を持たない義勇軍と知ると蔑んだ態度を取ったり、前皇帝を殺害し都に火をつけて炎上させた上に歴代の皇帝の墓を暴いたりと、義理や礼節とはかけ離れた非情な人物である。配下の李儒が進言する謀略を駆使して漢王室の専横を企む。しかし、その暴政を見かねた王允の仕掛けた策により呂布との仲を引き裂かれる。
なお、三国志を扱う他の作品では肥満漢として描かれることが多い董卓だが、本作では痩せた体型で描かれている。
同氏の作品である『バビル二世』の悪役ヨミをイメージしていたらしく、アニメ化に際して横山本人は「董卓の声は大塚周夫がいいですよ」と述べている。
李儒
董卓の軍師。
優秀ではあるが冷酷非情であり、董卓に対する進言のほとんどが徳や善政とはかけ離れたものである。
呂布
天下を狙う群雄の一人。一日千里を走るという名馬赤兎馬に跨り、槍および弓を得物に、縦横無尽に大陸を駆ける。義父である丁原に従っていたが、董卓の配下・李粛にそそのかされ寝返った。
虎牢関の戦いでは劉備・張飛・関羽ら英傑を相手取ってなお互角の戦いを繰り広げ、許褚と典韋らを2人まとめて子供扱いするなど人間離れした武芸の描写も多々ある。
三国志を扱う他の作品では大柄だが長身の体格で髭のない精悍な顔立ちで、戦のときには兜をかぶらず代わりに冠をかぶっている人物として描かれていることが多い中、本作では顎鬚を蓄えた恰幅の良い体格で、戦のときには兜をかぶっている人物として描かれている。
陳珪、陳登
名門陳家の親子。
元は徐州の太守陶謙に仕えていたが、その徐州が呂布に乗っ取られた後は呂布に仕える。しかし後に彼を裏切り、城の乗っ取りに貢献する。呂布の死後は恩義ある曹操と信頼する玄徳の間で板挟みになる。
陳宮
呂布の軍師。
元は曹操に仕えていたが曹操の非情さに嫌気が差して彼を裏切り、呂布に仕えその智謀で呂布を支える(曹操のもとを離れた描写はなく、いつの間にか呂布についていた)。作中において曹操の元にいたときと呂布に仕えたときとでその風貌ががらりと変わった人物の一人だが、和睦を持ち掛けてきた曹操を城壁の上から激しく弾劾する姿から、かつての陳宮と同一人物であると判断できる。
袁紹
名門袁家の出で、諸侯が董卓に対抗すべく集まった反董卓連合の盟主に推挙される。大勢力を率いる人物ながらも、息子の病を理由に絶好の好機を逃すなど凡庸な人物として描かれている。が、何進に仕えていた頃は度々諫言を行っていた。
袁術
通称「偽帝」。袁家の一族で袁紹の弟。兄とは仲が悪く、諸侯に号令を出すが人望に欠ける。孫策から預かった「玉璽」を利用して皇帝を名乗る。
公孫瓚
北平の太守。反董卓連合に参加した諸侯の一人で、玄徳・関羽・張飛の3人は公孫瓚の軍勢に加わって反董卓連合に参加することになる。その後は袁紹と領土をめぐり敵対関係になり、袁紹軍にたびたび国境を侵されるのを防ぐべく、易京楼という巨大な城を建造するも戦争中に兵士を見殺しにする行動を取り兵士らから反発され、それが遠因となって滅亡した。公孫瓚は玄徳と同じく盧植の師事を受けていた同門の人物であるが、作中においては玄徳に便宜を図る気のいい先輩役といった程度にしか触れられていない。玄徳は公孫瓚滅亡の話を聞き、次は自分たちが滅ぶ番ではないか?と恐怖した。
劉表
荊州の太守。身分は州牧に過ぎないが、彼の治める荊州は戦乱を免れ、物成り豊かで漢王朝の権威も衰えたこともあり、独立王国さながらの繁栄を謳歌している。
曹操との戦いに敗れて落ち延びてきた玄徳一行を客人として迎え入れる。同じ漢王室の流れを汲む玄徳とは親族同様の付き合いをする。
劉琦
劉表の長男。臆病で病弱な人として描かれている。弟の一族である蔡瑁らに暗殺されることを恐れ、劉備に仕えたばかりの孔明を呼び土下座して命乞いし救命案を聞き出し、それに従い江夏太守となった。劉備を慕い、長坂の戦いで劉備の救援に応じ水軍を率いて駆けつけた。
余談だが、劉琦は孔明から救命案として晋の驪姫と重耳の逸話を聞く。なお、横山光輝は後の作品である『史記』でも同様の内容を描いている。が、史記では供え物に毒が盛られていた、というエピソードだけしか描かれていない。
蔡瑁
劉表の配下であり、劉表の後妻である蔡夫人の兄。妹の産んだ次男劉琮を次の荊州の主にするべく、長男の劉琦とそれを支持する玄徳を排除しようと企む。後に曹操軍の水軍都督となり長江の対岸に一大水塞を建造、その手腕は周瑜をうならせる。
馬騰
西涼の雄。馬超、馬岱、馬休、馬鉄の父。
漢王室のため董承の曹操殺害計画に署名したこともある。武人らしい気骨を持ち、曹操の大権力にも毅然として抵抗の姿勢を見せる。漢王室(すなわち曹操)からは呉討伐の勅命を受けるが謀殺される。
劉璋
益州の太守。
凡庸かつ臆病で、外難に対して外部の力を借りて乗り切ろうとする暗愚な太守。孔明は悪政を強いていると玄徳に紹介するも、部下が進言した焦土作戦を「民を守るのが領主ではないか」と退けるという意外な一面ものぞかせた。漢中の張魯の侵攻に対抗すべく、同じ漢室の流れを汲む荊州の玄徳を頼らんとするが、玄徳が蜀を取らんとすると張魯に助けを求めるというお坊ちゃま思考の持ち主。
張任
劉璋配下の忠臣。
その知略は蜀でも群を抜いており、劉璋を守るべく数々の戦果を上げる。その忠義は死してなお後世の語り草となった。
張魯
漢中に拠点を置く、道教教団である五斗米道の三代目の教祖。蜀の劉璋とは敵対関係にあり、益州を自分の領土にするべくたびたび国境争いを行う。領民に対しては徳のある政治を行い、国難の際には領民が困窮しないように宝物庫や食糧庫に封印をして、焼失しないような配慮を見せる。
孟獲、祝融夫人
孟獲は南蛮国の大王であり、祝融夫人はその妻。
劉備の死後、曹丕の蜀への五路侵攻に乗じ、南蛮王の孟獲は10万の南蛮軍を従えて蜀に進軍を開始する。孔明によって五路侵攻は食い止められるが、南蛮を後顧の憂いと見た孔明は自ら指揮を執って南蛮行を開始し、孟獲らと対峙することになる。孔明に何度も挑み、捕らえられながらも全く従おうとしなかったが、その度に赦免されて孔明の度量を知り、次第に感化されるようになっていく。

その他

芙蓉姫
張飛の元主人に当たる「鴻家」の娘で、玄徳の初恋の女性。一族が黄巾賊によって殺されてしまい、寺の和尚に匿われていたところで玄徳と知り合う。その後、玄徳共々窮地を救った元家臣の張飛に連れられて、鴻家に縁のある大人の家に養われることになり、そこで再び玄徳と運命的な出会いを果たす。作中では玄徳がまだ城主としてではなく放浪の身であった時に登場し、玄徳との一時ばかりのラブロマンスを演出することになるのだが、その後は登場せず詳細は不明。正史にも『三国志演義』にも登場しない人物であり、本作の参考図書の一つである吉川英治の小説「三国志」にて登場する。なお吉川三国志では甘夫人として後に玄徳と結婚するが、横山版にその描写はない。
水鏡先生
荊州に住む学者で本名は司馬徽、水鏡は道号である。蔡瑁の陰謀により命を狙われて逃亡する玄徳を、自身の家に導いて匿う。長らく雌伏の時を過ごす玄徳に対して、軍師の必要性を説き、伏竜(孔明)と鳳雛(龐統)の存在を伝える。口癖は「よしよし」。
華陀
呉の地に住む医者であり「天下の名医」として知られ、孫策や関羽に治療を施す。龐徳との戦で左手に矢傷を受けた関羽の元に現れ治療を行い、華陀が血を抜き骨を削るという荒療治の最中、平然と治療を受ける関羽を「天下の名患者」と喩える。後に曹操の元にも診断に訪れるが、逆に投獄されてしまう。
左慈
峨眉山で30年修行したという仙人。ふらりと魏を訪れ、曹操に王の座から引退し、自分に師事して無限に生きる修行を奨める。しかしある一言が曹操の逆鱗に触れ投獄されるが、その人間離れした術で軽々と逃げ出した。
管輅
凄腕の占師で数々の伝説を持つ。左慈の妖術で昏倒した曹操を回復させるために呼び出され、魯粛の死や都での反乱を予言した。

映像化

本作品は何度かアニメ化されている。

三国志 (日本テレビ)
1985年に日本テレビ系『水曜ロードショー』の特別作品として放送された。続編として『三国志II 天駆ける英雄たち』も製作された。ただしこれらの2作品は、横山光輝とは絵柄が大きく異なっている上に、于禁が女性で赤壁の戦いで戦死するなどの大胆な内容変更がされている。
横山光輝 三国志
1991年10月から1992年までテレビ東京で全47話のシリーズ作品として放送された。絵柄内容ともにほぼ原作を踏襲した作りになっているが、ストーリーは赤壁の戦いまでで終了。

その他

タイトルなど

{| class="wikitable" |- !巻!!タイトル!!コミック版表紙!!主な内容 |-

|align=center| 1 || | 桃園の誓い ||劉備|| 黄巾賊の乱、芙蓉姫、張飛、王者の剣、乞食部隊 |- |align=center| 2 || | 黄巾賊退治 ||劉備|| 初陣、青州城救援、火攻めの計、渡り鳥、鉄門峡の死闘 |- |align=center| 3 || | 漢室の風雲 ||張飛|| 十常侍、勅使、放浪の旅、乱兆、何進将軍の死 |- |align=center| 4 || | 乱世の奸雄 ||曹操|| 西涼の董卓、荊州の父子、赤兎馬、暴虐将軍、青年曹操、奸雄立つ |- |align=center| 5 || 董卓追討軍 ||張飛×呂布|| 義軍集結、汜水関、関羽の武勇、虎牢関の戦い、遷都、落日賦、壊滅曹操軍 |- |align=center| 6 || 玉璽の行くえ ||関羽&張飛|| 曹操の危機、玉璽、袁紹のたくらみ、磐河の戦い、白馬陣、和睦 |- |align=center| 7 || 江東の波乱 ||孫堅|| 孫堅立つ、荊州攻略、凶兆、王允のたくらみ、亀裂、絶纓の会 |- |align=center| 8 || 呂布と曹操 ||呂布|| 董卓暗殺計画、曹嵩の死、休戦勧告、悪来典韋、罠と罠 |- |align=center| 9 || 曹操の台頭 ||曹操|| イナゴ、逆境の流軍、長安脱出、廃虚洛陽、土性の地 |- |align=center| 10 || 徐州の謀略戦 ||張飛|| 二虎競食の計、駆虎呑狼の計、裏切り、撤退、蛟竜、小覇王孫策 |- |align=center| 11 || 孫策の快進撃 ||孫策|| 奇略、太史慈、新しい波、江南 江東平定、呂布の機智、馬泥棒 |- |align=center| 12 || 南陽の攻防戦 ||曹操|| 南陽の遠征、張繡の謀略、陳珪父子、偽帝討伐軍、苦い勝利 |- |align=center| 13 || 玄徳の危機 ||劉備|| 謀略戦、発覚、小沛落城、泰山の戦い、陳父子の暗躍 |- |align=center| 14 || 呂布の末路 ||呂布|| 秋風、呂布の迷い、政略縁談、禁酒令、呂布の最期 |- |align=center| 15 || 玄徳の秘計 ||劉備|| 臣道、血判状、英雄論、放たれた虎、袁術の最期 |- |align=center| 16 || 曹操の智謀 ||張飛|| 暗殺命令、一通の伝書、くじ引き、張飛の作戦、外交戦略、名医吉平 |- |align=center| 17 || 関羽の苦悶 ||劉備|| 毒殺計画、徐州落つ、降伏の条件、臣道、白馬の野 |- |align=center| 18 || 決死の千里行 ||関羽|| まき餌の策、避客牌、関門突破、関西の周倉 |- |align=center| 19 || 呉国の暗雲 ||張飛&関羽|| 汝南の古城、主従再会、三浪人の復讐、于吉老人、孫策の最期 |- |align=center| 20 || 凶馬と玄徳 ||劉備|| 江夏の乱、凶馬、檀渓を跳ぶ、水鏡先生、浪士単福 |- |align=center| 21 || 孔明の出廬 ||諸葛亮|| 養子劉封、単福の素姓、偽手紙、諸葛孔明、母と子、孔明を訪ねて、雪千丈、三顧の礼、お家騒動 |- |align=center| 22 || 初陣孔明 ||関羽|| 曹軍侵攻、博望坡の戦い、酔えぬ美酒、劉表の死、降伏、孔明 新野を焼く |- |align=center| 23 || 長坂の攻防 ||張飛|| 難民、暗殺指令、長坂坡、風雲長坂橋、援軍きたる、百万曹軍 |- |align=center| 24 || 孔明の大論陣 ||諸葛亮|| 舌戦、火中の栗、水軍提督周瑜、開戦、殺意、暗殺計画、大水塞、群英の会 |- |align=center| 25 || 赤壁の前哨戦 ||諸葛亮&魯粛|| 謀略、覆面船団、埋伏の毒、裏の裏、鳳雛立つ、見破られた火計、鉄鎖の陣 |- |align=center| 26 || 赤壁の戦い ||曹操|| 突風、東南風、誓紙、青竜旗、赤壁の戦い、敗走、炊煙、山越え、功なき関羽 |- |align=center| 27 || 南郡争奪戦 ||周瑜|| 城とり優先権、呉軍のつまずき、夷陵城攻略、一巻の書、曹操の秘計、静寂の陣、無血城とり、荊州の主 |- |align=center| 28 || 進攻玄徳軍 ||趙雲|| 四輪車、裏の裏、桂陽攻め、兄嫁騒動、張飛武陵をとる、関羽五百騎、黄忠の矢 |- |align=center| 29 || 政略結婚 ||劉備|| 合淝城攻防、太史慈の最期、証文、謀略結婚、甘露寺、十字紋石、贅沢の蜜漬、脱出、男まさり |- |align=center| 30 || 周瑜と竜鳳 ||周瑜|| 孔明の読み、銅雀台、荊州往来、周瑜の最期、将星を見る、鳳雛去る、馬騰と一族、密告者 |- |align=center| 31 || 馬超の逆襲 ||馬超||征呉南伐軍、西涼の強兵、長安落城、あざけりの策、対戦、渡河作戦、空陣、火攻め水攻め |- |align=center| 32 || 渭水の決戦 ||馬超||一夜城、挑戦状、和睦、離間の策、馬超敗走、教門国、蜀、孟徳新書、百たたきの刑 |- |align=center| 33 || 蜀への隘路 ||趙雲||西蜀四十一州図、法正と孟達、進軍、剣の舞、掌中の珠、曹軍南下、日輪の夢、三つの策 |- |align=center| 34 || 落鳳坡の衝撃 ||龐統||武人の護り、紫虚上人、抜け駆け、湖の底、落鳳坡、引き潮、破軍星、草刈り、誘引の計 |- |align=center| 35 || 成都攻略戦 ||張飛×馬超||援軍到着、金鴈橋、雒城落城、漢中馬超軍、裏工作、馬超降る、成都陥落 |- |align=center| 36 || 漢中侵攻軍 ||龐徳||臨江亭、死の密書、西征軍、濃霧の戦い、西涼の龐徳、一日の恩、漢中平定 |- |align=center| 37 || 魏呉激突 ||孫権||呉軍動く、逍遥津の合戦、四十万曹軍、奇襲百騎、総力戦、奇怪な老人、仙術、平原の神卜、予言 |- |align=center| 38 || 張飛の智略 ||張飛||新春十五夜、風雲、陣前の美酒、瓦口関、間道、老将、驕兵の計、定軍山 |- |align=center| 39 || 漢水の戦い ||趙雲||定軍山攻防、人質交換、敵陣を望む、趙子竜、一騎馬武者、背水の陣、心理作戦、智者は智に溺れる |- |align=center| 40 || 漢中王劉備 ||曹操||曹彰、鶏肋、魏軍敗走、漢中王、魏呉不可侵条約、烽火台、柩、南安の龐徳 |- |align=center| 41 || 関羽の不覚 ||関羽||死場所、名医名患者、建業評定、関羽と陸遜、荊州城陥落、にわか雨、傳士仁と縻芳、大敗北、攻守転倒、深慮遠謀 |- |align=center| 42 || 曹操の死 ||関羽||麦城に走る、援軍きたらず、関羽の最期、首騒動、蜀鳴動、曹操発病、名医華陀、曹操の死、新魏王、兄弟相争う、七歩の詩、叛乱の芽 |- |align=center| 43 || 蜀の明暗 ||張飛||裏切り、敗戦、劉封の死、新帝、蜀皇帝、張飛の最期、張苞と関興、腕くらべ、連戦連勝、三虎逝く |- |align=center| 44 || 蜀呉の死闘 ||劉備||快進撃、仇の片割れ、霊に捧ぐ、若き総司令、持久戦、火攻め、石兵八陣 |- |align=center| 45 || 劉備の死 ||諸葛亮||魏呉攻防戦、玄徳没す、五路五十万、使者鄧芝、浮かぶ長城、火と風と、益州の乱 |- |align=center| 46 || 孔明の南蛮行 ||諸葛亮||離間の策、連合軍分裂、益州平定、南蛮行、五渓峰、蛮王孟獲、孟獲を放つ |- |align=center| 47 || 瀘水の戦い ||諸葛亮×孟獲||毒河、夾山峪、百杖の罰、再釈放、夜襲、三たび放つ、音無しの構え、四度目の縄 |- |align=center| 48 ||