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天上の虹/里中満智子

共有

著者: 里中満智子
巻数: 1巻

里中満智子の新刊
天上の虹の新刊

最新刊『天上の虹 23


シリーズ: キスKC


天上の虹』(てんじょうのにじ)は、里中満智子による日本の漫画。副題に「持統天皇物語」とあるように、日本の第41代天皇で、女帝である持統天皇を主人公とした作品。1983年(昭和58年)に連載を開始し、その後書き下ろしを経て2015年(平成27年)に完結した。

概要

中大兄皇子(後の天智天皇)の娘として生まれた野讃良皇女は、父の同母弟である大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぐ。夫と父の確執や、自分の持つ優れた政治的資質と一人の女性としての葛藤の間で、悩み苦しみながらも懸命に生きていく。やがて夫の即位後は皇后として夫を助け、夫の死後は自らが即位して持統天皇となり、日本の歴史にその名を残していくこととなる。

また、時代に応じて、大海人皇子 - 額田王 - 中大兄皇子、高市皇子 - 十市皇女 - 大友皇子、大津皇子 - 大名児 - 草壁皇子、穂積皇子 - 但馬皇女、弓削皇子 - 紀皇女 - 珂瑠皇子 - 藤原宮子、新田部皇子 - 氷高皇女 - 葛城王、など様々な恋愛ドラマが展開し、物語をよりドラマチックにしている。この作品より少し後の時代を描いた里中の『長屋王残照記』(長屋王)と『女帝の手記-孝謙・称徳天皇物語』(孝謙天皇)は共通する登場人物も多く、この作品の続編と見ることも出来る。

物語の中には、里中による創作も多く含まれているものの、史実で明らかな部分(登場人物の生没年、各種法令・書物の成立時期等)は改変しないというルールを貫いている2015年4月16日 朝日新聞「女帝の生涯、生き生きと 歌で人柄想像、32年で完結 里中満智子さん『天上の虹』」

里中満智子のライフワークとなっており、1983年に雑誌(講談社『mimi DX』12月号)に連載が始まってから2015年3月13日まで、単行本にして全23巻、全67章が発表された。なお、『mimi DX』掲載分は4巻第12章まで、掲載誌を『mimi Excellent』に移しての分が14巻第39章までであり、それ以降は最終章に至るまで描き下ろしである。

あらすじ

皇極4年(紀元645年)の初夏。時の女帝・皇極天皇の長子・中大兄皇子には、寵愛する夫人・蘇我遠智娘との間に第2子となる女児が誕生した。彼女の名は「鵜野讃良皇女」。後の「持統天皇」である。讃良が誕生してからすぐの、6月19日。中大兄によるクーデターが発生した。大化の改新である。

かねてより蘇我氏の専横に不満を抱いていた彼は、中臣鎌足・遠智の父である蘇我倉山田石川麻呂と手を組み、蘇我氏を倒そうと計画していたのだ。中大兄に討たれた入鹿の亡骸を見た入鹿の父・蝦夷は天皇家との戦を避け、屋敷に火を放ち自害した。

血なまぐさい事件に嫌気が差した皇極天皇が退位したため、中大兄は叔父である軽皇子を即位させて孝徳天皇とした。このクーデターの成功により父が右大臣となった遠智であったが、中大兄がどんどん遠い存在になっていくことに不安を抱いていた。改革を進める一方で、政敵への粛清が始まり、正妃・倭媛の父で自身の異母兄・古人皇子が出家して籠っていた吉野山で処刑された。中大兄の次弟・大海人皇子はあまりの惨さに、次第に兄を恐ろしく思うようになる。

同じ頃、倭媛のお見舞いのため、彼女の宮を訪れていた遠智。彼女から、自身に嫉妬していたことを打ち明けられ、それと同時に「男として冷たいと思っていたわ。でも違った…! あの人は…人間として冷たい人なのよ!!」と彼の冷酷さをぶちまけられた。その上で、何があっても決して中大兄に逆らわないようにと忠告された。

月日は流れ、大化5年(649年)春。讃良は4歳になっていた。突如、祖父・倉山田石川麻呂に謀反の疑いがかけられ、兵士が彼の屋敷へ向かっていた。倉山田石川麻呂は一族を連れて飛鳥へと逃げ帰り、菩提寺・山田寺に篭った。

彼は懸命に弁解するも、中大兄は聞き入れず兵士を飛鳥へと差し向けた。懇願する遠智だが、父の悲劇を目の当たりにした倭媛から制止された。結局倉山田石川麻呂は自害に追い込まれ、夫が父を自害に追い込んだことにより、彼を恨み憎悪する遠智。さらに謝罪に訪れた中大兄に陵辱されて精神が破壊されてしまった。

翌年の冬。遠智は第3子となる男児(建皇子)を産むも、正気に戻ることなくこの世を去った。祖父を自害に追い込み、母が正気に戻ることなく亡くなったことで讃良は父への怒りと憎しみを抱き、母の亡骸にこう誓った。「あたしは…きっと…お父様より偉くなってみせる!」この時、讃良5歳。これが彼女の波乱に満ちた人生の始まりであった。

内容

  • 第1章 大化の改新(たいかのかいしん)
  • 第2章 有間皇子(ありまのみこ)
  • 第3章 額田王(ぬかたのおおきみ)
  • 第4章 建皇子(たけるのみこ)
  • 第5章 別れの歌(わかれのうた)
  • 第6章 星宿(せいしゅく)
  • 第7章 船出(ふなで)
  • 第8章 大田皇女(おおたのひめみこ)
  • 第9章 白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)
  • 第10章 間人皇女(はしひとのひめみこ)
  • 第11章 近江大津宮(おうみおおつのみや)
  • 第12章 天智天皇(てんじてんのう)
  • 第13章 蒲生野(がもうの)
  • 第14章 漏刻(ろうこく)
  • 第15章 大友皇子(おおとものみこ)
  • 第16章 壬申の乱1(じんしんのらん1)
    • 壬申の乱2(じんしんのらん2)
    • 壬申の乱3(じんしんのらん3)
  • 第17章 近江京炎上(おうみきょうえんじょう)
  • 第18章 天武天皇(てんむてんのう)
  • 第19章 飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)
  • 第20章 十市皇女(とおちのひめみこ)
  • 第21章 わかれ道(わかれみち)
  • 第22章 少年たち(しょうねんたち)
  • 第23章 山吹の女(やまぶきのひと)
  • 第24章 星祭り(ほしまつり)
  • 第25章 薬師寺発願(やくしじほつがん)
  • 第26章 草壁皇子(くさかべのみこ)
  • 第27章 大津皇子(おおつのみこ)
  • 第28章 大名児(おおなこ)
  • 第29章 八色の姓(やくさのかばね)
  • 第30章 彗星(すいせい)
  • 第31章 朱鳥(あかみとり)
  • 第32章 崩御(ほうぎょ)
  • 第33章 殯(もがり)
  • 第34章 二上山(ふたかみやま)
  • 第35章 陵(みささぎ)
  • 第36章 螢(ほたる)
  • 第37章 櫻(さくら)
  • 第38章 三種の神器(さんしゅのじんぎ)
  • 第39章 恋人たち(こいびとたち)
  • 第40章 穂積皇子(ほづみのみこ)
  • 第41章 但馬皇女(たじまのひめみこ)
  • 第42章 月かたぶきぬ(つきかたぶきぬ)
  • 第43章 霍公鳥(ほととぎす)
  • 第44章 香具山(かぐやま)
  • 第45章 藤原不比等(史)(ふじわらのふひと)
  • 第46章 無量大数(むりょうたいすう)
  • 第47章 仙薬(せんやく)
  • 第48章 朝の川(あさのかわ)
  • 第49章 挽歌(ばんか)
  • 第50章 皇太子(ひつぎのみこ)
  • 第51章 弓削皇子(ゆげのみこ)
  • 第52章 歴史書(れきししょ)
  • 第53章 紀皇女(きのひめみこ)
  • 第54章 開眼会(かいげんえ)
  • 第55章 譲位(じょうい)
  • 第56章 安麻呂(やすまろ)
  • 第57章 黒髪(くろかみ)
  • 第58章 朱雀(すざく)
  • 第59章 月に祈りを(つきにいのりを)
  • 第60章 対決のとき(たいけつのとき)
  • 第61章 改元(かいげん)
  • 第62章 うつそみの人々(うつそみのひとびと)
  • 第63章 親と子(おやとこ)
  • 第64章 遣唐船(けんとうせん)
  • 第65章 日食(にっしょく)
  • 第66章 大宝律令(たいほうりつりょう)
  • 最終章 太白(金星)(たいはく)

主な登場人物

実在人物としての詳細は、各リンク先を参照されたし

主人公

鵜野讃良皇女
この物語の主人公。後の持統天皇。作品を通じて讃良(さらら)と呼ばれることが多い。
大化の改新が起こった年に、生まれる。母は蘇我氏の出身・遠智娘。
4歳の頃、祖父・蘇我倉山田石川麻呂が、謀反の疑いをかけられ自害。その翌年、母は弟・建皇子を生んですぐ亡くなる。祖父を亡くし、母親が正気に戻ることなく息を引き取ったことで父・中大兄皇子を恨み、いつの日か父を超える存在になると母の亡骸に誓い、波乱に満ちた人生を歩むことに。
長じて、叔父である大海人皇子の元に嫁ぐ。父と夫の対立、そして同母姉・大田皇女の他界を経て孤独に苛まれることになる。大友皇子が皇位を巡って争う「壬申の乱」で夫が勝利し、天武天皇の即位と共に皇后(おおきさき)になる。しかし、戦友として夫に頼みとされることを喜びと感じる反面、妻として女性として愛されぬ孤独に苦しみ、大田の子である大津の才覚を認めながらも実子:草壁皇子の皇位継承に傾倒する。更には、実質的な共同統治者として政事を行うようになってから、徐々に廷臣たちから冷酷な人間と思われるようになったことを知り草壁が学問所で従兄弟の川島から讃良に関する噂を聞かされた。、愕然となる。
大海人の崩御後、後継者争いの末に甥である大津皇子を死罪に処したことで、父同様に厳しく冷たい人間と思われるようになった事を自覚した。その後、草壁が精神を病んだ末に自殺、死なせて欲しいと懇願された正妃・阿閇皇女が愛するがゆえに絞殺という形の自殺幇助を実行したことで、高市皇子の薦めもあり、自身が天皇として即位。草壁の死は表向きは病死とされた。
藤原京遷都や歴史書編纂事業等に精力的に取り組むが、孫・珂瑠皇子の正妃だった紀皇女が不倫の末、無理心中を図り死亡した件がきっかけとなり病に倒れた。このことで珂瑠に対する譲位を決意したが「紀皇女の墓を立派な物にしたい」という言葉を聞き、呆然。彼の優しすぎる性格が天皇として不適格であることを悟り、父が「太政大臣」の地位を新設したのと同様に、新たに太上天皇の位に就くことを宣言。上皇になるが、遣唐使派遣や律令制度整備等を巡り次第に珂瑠と政治的に対立するようになった。
大宝2年(702年)、「壬申の乱」の際、大海人軍に組した地域(主に中部地方)を行幸することに。最初の目的地・三河国(現在の愛知県東部)に到着した夜、突如襲撃を受け、足を負傷。以後、急速に体調を悪化させ、草壁の子である珂瑠(文武天皇)、氷高皇女(後の元正天皇)との会話の中で、残りの人生で何をなすか真剣に向かい合う。憎んでいた父・中大兄の命日を国忌扱いにすることを決断。その一方で、大津には何もしてやれないと悩みつつ眠りにつこうとした次の瞬間、「寺を建てて 霊を慰める」ことを思い立ったが、大宝2年(703年)12月22日深夜、それを実行しようと寝台から降りようとして床に転落し、そのまま波乱に満ちた生涯を終えた。
享年・57歳。漢風諡号・持統天皇。生前の遺言により、皇族としては初めての火葬で葬られた最終巻巻末に掲載されていた「附記」にて、夫・大海人とようやく2人きりの時を過ごせるようになったが、文暦2年(鎌倉時代の1235年)3月。2人が眠る陵墓に墓泥棒が侵入。納められている副葬品と共に彼女の遺骨が入った骨壷が盗まれてしまう。その後、捕縛された盗賊の供述により「高価な骨壷は持ち去ったが 中の骨は邪魔なので山中に捨てた」ということが明らかに。そのため、讃良の骨は大海人の傍らには存在していない。

主人公の家族

遠智娘
讃良たち姉弟の母。倉山田石川麻呂の娘。腹違いの妹・姪娘が一人いる(第3巻から登場し、中大兄の後宮に入る)。
中大兄からは深い寵愛を得ており、正妃・倭媛から嫉妬されている。
だが、倭媛の父・古人大兄皇子が謀反の罪を着せられ、吉野で処刑された時に見舞いへ行った際、「中大兄さまに逆らわないで」と忠告された。それから数年後。父・倉山田石川麻呂が謀反の罪を着せられ、自害に追い込まれた事で中大兄を恨み、力ずくで抱かれた事から精神に異常をきたしてしまう。
翌年建皇子を産むが、正気に戻ることなく亡くなった。
蘇我倉山田石川麻呂
讃良たち姉弟の祖父。遠智の父。穏やかな性格。その性格から、人望が厚く民から人気がある。
大化の改新で、中大兄・鎌足と共に蘇我入鹿(後述)を倒し、その功労で右大臣に昇進した。
だが、讃良が4歳になった649年(大化5年)。突然、中大兄から謀反の疑いをかけられてしまい、一族の菩提寺・『山田寺』に籠り、弁解も聞き入れられず自害した。
大田皇女
讃良の姉。心優しく穏やかな性格。母を亡くし、祖母・皇極天皇の庇護の下、讃良・建と成長。
第3話で、初潮を迎え讃良に乞われて見舞いに訪れた額田王に「大人になったら、「大海人のおじさまの妃になれ」って、言われてるの」と打ち明け、すでに大海人の嬪になっていた額田に謝罪。
それからしばらくして、大海人の下へ嫁ぐ。大海人の寵愛は深く、やがて第一子・大伯皇女を出産。だが、次第に大海人を取り巻く妃嬪に対する自身の嫉妬心に気付き、(誰にも嫉妬なんかしたくなかったのに…!)と、悩み苦しむようになる。
戦況が進んでいた頃、胸の病を患い、喀血。その後第二子・大津皇子を産むが、大伯・大津を遺して逝去。その死は大海人、そして讃良に強い影響を与えることとなる。
建皇子
讃良たちの弟。蘇我氏出身である、亡き母・遠智娘が産んだことから「跡取り」と目されているが、生まれつき口が利けない。
幼いながらも、讃良の事を案じていて、有間皇子との恋に悩む姿に胸を痛め、有間と遠駆けに行った日。「いつか讃良を取り戻す」と有間が誓ってくれたことに安堵した。だが、しばらくして病に倒れ、讃良と有間に看取られながら短い生涯を終えた。
中大兄皇子
讃良たちの父。物語冒頭で蘇我入鹿を倒し、皇太子として政治家への道を歩むことに。
だが冷酷な性格で、重臣はもちろん自身の妃嬪たちの親族であっても邪魔になれば、粛清するなど容赦しない。そのため、正妃・倭媛からは恨み恐れられ、最愛の夫人・遠智娘からは憎悪され狂死に至らしめた。また、同母妹の間人皇女を愛し肉体関係にもあったが、政治のために切り捨てた。
同母弟・大海人皇子の嬪であった額田を望み、強引に自身の後宮へ入れた。だが長らく心が通わず、大友皇子と十市皇女の縁談がきっかけで、ようやく身も心も結ばれた。
近江大津京遷都の直後、即位。だが次第に皇太弟の大海人と政治的に対立するようになり、新たに太政大臣の地位を新設して、大友を就任させることで事実上の後継者に指名した後、崩御。
讃良には彼女の政治家としての素質を見抜いていて「お前の中身は 俺にそっくりだ」と告げた。崩御してからも彼女の人生の節目ごとに枕元に立ち、厳しくも冷静に讃良を見守っている。
大海人皇子
讃良・大田たちの夫。中大兄の同母弟。冷酷な兄・中大兄とは違って大らかな性格。
讃良が嫁いできた際、自身の宮を大きく改築(姉・大田と弟・建も同居するため)。この時代には珍しく、妻子同居という生活スタイルだったため、「皇族らしくない育て方」と世間から言われ、甥で娘婿の大友からは「大海人様は 変わり者なんだ」と非難されていた。
母の采女だった頃の額田に励まされ、それがきっかけで結ばれた。中大兄から額田を望まれ、その事を額田本人に打ち明けた際、「女を政治の道具にするのね!」と責められ、「ゆるしてくれ…!」と涙ながらに謝罪。断腸の想いで、額田を譲った。
大田が自身の下に嫁いでからしばらくして、讃良を娶った。当初有間皇子を慕うのを認めたが、処刑されショックで病に倒れた讃良を看病し、ついに讃良と結ばれた。第6話で、讃良から「大海人さまを天皇にする手伝いが出来る、そんな妻になりたいわ」と打ち明けられ、彼女が他の妃嬪とは違い、僅か15歳ながら「太陽のように勇気を与えてくれる」存在であることに気づく。
讃良に「お前は、妻というより戦友だ」と告げ、以後讃良と共に様々な困難に立ち向かっていく。しかし、次第に男と女としての愛情は薄れてゆき即位後、讃良の宮で彼女と過ごしていた際。信頼しているが彼女の自身に対する深い愛情が(重苦しく一緒にいては安らげない)と感じるようになる。、自身で妻ではなく戦友と思っていることを告げたことを忘れ去り、讃良が自分自身で言ったと思い込んでしまう。
壬申の乱で大友を破り、大津から飛鳥に遷都。即位した。それから数年後。草壁皇子が皇太子となり、後継者問題に一応の決着が付いたかと思われたが、病に倒れ、讃良が高市皇子と出張に出かけている間、密かに大津を病床に呼び、「私はお前に、皇位を譲りたい」と打ち明けた。しかし、このことを周知する前に崩御したため、後継者問題に解決がなされないばかりか大津と秘密を持ったことで混乱の種を遺した。
間人皇女
中大兄の同母妹(大海人の同母姉)。実は大化の改新以前から、密かに中大兄と不倫している。クーデターを成功させ、母・皇極天皇が退位する事になったため、母の弟(叔父)・軽皇子が即位する事になり、兄から「孝徳天皇の皇后になってくれ」と請われ、「あの人は、私のおじにあたるのよ」と拒否するが、兄から「俺はいずれ、天皇になりたい!」と宣言された。
飾り物の天皇である夫とは心が通い合う事がなく、寂しい生活を送る。だがある日。中大兄が訪ねて来て、夫婦仲を聞かれるが涙ながらに拒絶。だが、ついに中大兄と抱擁してしまい、その現場を継子である有間皇子に目撃されてしまう。兄が帰った後、有馬から「あなたは皇后なのですよ。もっと自覚と誇りを持ってください。」と諭された。その後、遷都をめぐって孝徳と中大兄が対立。閣僚たちも中大兄につき、兄から「おれと一緒に、飛鳥へ帰ろう」と言われ、皇后であるにもかかわらず、夫を捨てて飛鳥へ。難波宮には、飾り物の天皇が残された。
その後、孝徳が病に倒れ、慌てて難波宮へ。見舞いに訪れ、これまでの不義理を謝罪し、また有間の事を頼まれた。孝徳天皇が崩御すると、母が再即位した。ここで中大兄からよりを戻そうと迫られるが、「普通の兄妹に、戻りたいの。わかって、お兄様。」と拒否。
唐との戦の最中、母が崩御。天皇不在という異常事態が発生し、兄から「形式だけでいいから」と天皇位に就くよう請われ、承諾した公式記録に間人が即位したという事実は残されてないが、『日本書紀』等で「仲天皇」という表記がある。敗戦を経て平穏な日々が戻って来るが、病に倒れた。見舞いに訪れた讃良が、天皇としての素質を持つことを見抜き「貴方なら、本当の女帝になれるわ」と言い残して崩御。その死は、中大兄に激しい慟哭と後悔を与えた。
皇極天皇
讃良たち姉弟の祖母。幼くして母・遠智を亡くした彼女達を温かく見守っている。自分の息子ながら、冷酷な性格の中大兄に心を痛めている。血なまぐさいことや悲しみから逃避しがちで、入鹿が殺された時も救いを求める彼を見殺しにしてしまった天幕の影に逃げ込んだ際、「なんてこと…中大兄…あの子は恐ろしい…!」と息子の冷酷さを確信した。
弟・孝徳の没後、再び天皇位に就く。その直後、健が幼くして亡くなり、ついに中大兄への怒りが爆発。「その子(健)がなぜ一生 口がきけないように生まれついたのか…なぜなのか おまえはまだわからないのね」と訴えた。
唐との戦が始まり本営を転々とさせる中、宮へ落雷があり、直後に胸を患い倒れた。
見舞いへ来た讃良に「どうか…いつか私の代わりに 寺を」と頼んだ。讃良の懐妊直後に危篤状態となり、中大兄に「あの世へいったら みんなに お前のことを謝っておくから…」と最期まで彼の事を案じ、崩御した。
草壁皇子
讃良が大海人との間に儲けた、一人息子。唐との戦の最中、誕生した。大海人にとっては、皇族の妻との間に初めて生まれた男子であったことから、「跡継ぎ」と目されたものの、直後に正妃の大田皇女に大津皇子が生まれ、さらに大田が逝去して讃良が正妃となり、生い立ち自体も草壁と大津の間に確執を作る遠因となる。性格は両親のように強くなく、ひ弱だが心優しい。視野が狭い。
異母弟の大津、そして忍壁皇子とは特に親しく成長する。
長じて阿閉皇女に恋し、アプローチするが、一時はフラれた。
異母姉・十市の自害がきっかけで、次第に周囲の言葉を鵜呑みにするようになって母を冷酷だと思い込むようになり「もしかしたら川島のいうように…母上はすべて計画的にぼくの人生を動かそうとしているのではないか…」と讃良に対して疑いを抱くようになる。阿閉皇女と結婚し、新居に引っ越して、すぐに阿閉が懐妊。讃良が病に倒れて闘病生活を送っている頃、長女・氷高皇女(のちの元正天皇)が誕生。初めての子の誕生に感激し、阿閉に駆け寄るが「部下の前では、威厳を持って接して欲しい」と注意され戸惑う。
氷高の誕生からしばらく後、皇太子となる。立太子の直前、阿閉と招かれた内々の酒の席で給仕をしていた、讃良の采女・大名児を見初めた。だがその後すぐ、異母弟(従弟)・大津も大名児に一目惚れしてしまい、三角関係に。讃良が甥でもある大津を草壁のライバルとして意識していることを悟った、大名児はやむなく草壁の下へ。
それがきっかけで、大津との間に亀裂が入る。大海人が崩御し、葬儀の席で弔辞を述べていた大津が、生前に大海人から後継者として指名された事を発表。一同騒然となるが、讃良が一喝。その後、大津は謹慎処分を受け、大名児の本心を知った事から讃良に大津の助命を嘆願。だが、聞き入れられず、その後大津は死罪となった。
大津の死で、罪悪感を深めて大津に謝罪したいと思うようになり、阿閉も遠ざけて自室に籠もって大津の霊を呼ぶまじないを行ったが、大津が出てきてくれないことにショックを受け、髪が白髪になってしまう。その後、精神を病み引きこもるようになり、即位は見送られた。最期は毒を飲んで自殺を図るが、死に切れず阿閉に自殺幇助を懇願し、安心した表情で死を遂げた。
大津皇子
大海人と大田の間に生まれた、三男。草壁の従弟でもある。
性格は大海人のように、大らかで男らしい。幼い頃、母・大田を亡くし、姉・大伯と共に祖父・中大兄に引き取られて育つ。優秀だが、自分自身に対する自信ゆえに慎重さに欠ける。
大海人即位後すぐ、大伯が伊勢神宮の斎王にト定され、「たった2人の姉弟なのに」と泣きながら大伯に懇願するが、諭された。大伯が出立前に潔斎している宮を密かに訪ね、狩りでしとめた獲物を贈った。
成長後、草壁たちと弓道の練習をしている時、誤って弓を常陸娘(大蕤の姉妹)が中大兄との間に儲けた、山辺皇女に射掛けたことがきっかけで知り合い、一目惚れ。積極的にアタックし、叔母・讃良に「山辺皇女との婚儀を、認めていただきたく…」と報告するが、山辺が仇敵・赤兄の孫娘であることから反対されてしまい、事情を知らない大津は讃良に不信感を抱く。その後、大海人に認められ、山辺と結婚。しかし、その後に山辺だけという誓いを忘れ、大名児や山の民の娘・アマメと愛し合い、アマメとの間に嫡男・多安麻呂(カムイ)を設ける。
それから数年後、大名児に一目惚れするが、彼女は草壁の嬪に。彼女の気持ちを確かめるべく、草壁が帰ってすぐに大名児の下へ押しかけ、ついに結ばれた。彼女から「皇后様(讃良)に知られるのが怖かった」と打ち明けられた。
その後、倒れた大海人の病床に呼ばれた際、皇位をゆずりたいと告げられた。帰りに大名児の屋敷を訪れて報告した。
それから暫らくして、大海人が崩御。葬儀の席で、「後継者として指名された」ことを発表。讃良と言い争いになり、謹慎処分を受けた後、従兄弟・川島皇子の密告で捕縛され、処分が決まるまで拘禁されることに。死罪を言い渡され、辞世の歌を詠んだ後、死を遂げた。
大伯皇女
大海人と大田の間に生まれた次女。大津の同母姉。
容姿・性格は母・大田と瓜二つで、穏やかで心優しい。幼い頃、母・大田を亡くし、弟・大津と共に祖父・中大兄に引き取られて育つ第6巻で大海人が讃良に姉弟を引き取って育てたいと話すが、中大兄が溺愛している事から無理に引き取ると「信用してないのか」と疑われそうだとこぼしていた。。こうした経緯もあり、大津を弟として以上に深く愛するようになる。
壬申の乱終了後に、父が即位。父から伊勢神宮の斎王に卜定された。そのための荷作りをしている最中、大津が飛び込んできて、「たった2人の姉弟なのに」と泣きながら反対された。別れを惜しむ弟の姿に「いつか男として 貴方を見てしまいそうだ」と胸を痛める。
出立直前。大津から、狩りでしとめた獲物を贈られた。父の使いで伊勢を訪れた十市から、阿閉共々「人を愛することをおそれないで」と励まされた。それから数年後。密かに伊勢を訪れた大津が同じ布団で眠っているところ、思わず口づけしてしまい、禁忌を犯したことに涙する。
父が亡くなる直前、大津が訪ねて来る。その直後、大津が謀反で捕らえられ、死罪となる。大津の死で斎王の任を解かれ、帰京する事になり、旅の途中に泊まった村で、大津の恋人・アマメから妊娠を打ち明けられた(その際、「男でも女でも カムイと名付けます」と告げられた)。帰京してすぐ、大津の墓が二上山へ移転されることを知り、ショックを受け、若くして亡くなった大津を悼む歌を詠んだ。
その後は静かに暮らしていたが、忍壁が責任者となった歴史書編纂事業で協力を要請され、忍壁の下で働く多安麻呂を紹介された。だが、あまりにも故・大津に瓜二つだったことから、「もう来なくていい」と告げた。このことで安麻呂から自分の甥である事を名乗り出られ、感涙した。それからしばらくの後。安麻呂に看取られ、亡くなった。
阿閉皇女
中大兄が遠智の異母妹・姪娘との間に儲けた次女。
明るくしっかり者。成人後、従弟でもある草壁から想いを寄せられるが、彼の意気地なさに苛立ち、一時は断る。
だが、讃良のとりなしもあって、その後は進展し結婚。草壁の正妃に。しばらくの後、第一子を懐妊。その後、草壁が皇太子となったことで、皇太妃に。だが草壁が他の妻に心を寄せるようになり、悲しむ。
その後、跡取りとなる長男・珂瑠皇子を産む。しばらくしてから、草壁が他の妻(産褥で死去)との間に儲けた吉備皇女を引き取り、育てることに。
大津の死後、精神を病んだ草壁を看護する日々を送るが、最後は草壁から「愛しているなら、死なせてくれ」と懇願され、自殺を幇助。あとから駆けつけた讃良にそのことを打ち明けるが制止され、2人だけの秘密にすることを誓った。後に、讃良同様女帝としての後半生を送ることに。
氷高皇女
草壁と阿閉の第一子。長女。幼い頃から、人々の口に上るほどの美貌の持ち主で、「国一番の美女」(弓削皇子)「この世を超越したような美貌」(長屋王※『長屋王残照記』)と言われるが「続日本紀」において公式記録にその美貌が謳われている。本人の項も参照、現実主義者でしっかり者であり、讃良は珂瑠よりも氷高の資質を評価し讃良が倒れた際、珂瑠に譲位する事を決断した後。阿閉が珂瑠を支えられる人材を太政大臣として起用する事を勧めた時に「氷高が男だったらよかったのだけど」と、述懐していた。、公にも同伴するようになっていく。
幼くして父・草壁が精神を病み、母・阿閉が看護する日々を見て育ったことから、かつての讃良同様、父親に不信感を抱き後年、中部地方行幸での事件の対応をめぐって、珂瑠との言い争いがきっかけとなり、祖母・讃良から父親を恨んでいる事を覚られた。子供心に「男が女より強いなんて、嘘だわ」と思うようになる。そのため、「自分がその分強くなって、弟と妹を支えて生きていけばいい」と決意。ある雪の日。宮に雪が積もる中、雪の中で座り込む父に寄り添う母の姿を目の当たりにしたことで、ついに草壁への怒りを爆発。「父上がちゃんとしてくだされば、母上だってこんな事しません!」と思いのたけをぶつけた。その後、父が亡くなり葬儀の場でこれまでのことを振り返り、謝ることも出来ないと後悔した。
讃良が即位してしばらくしてから、新羅の王子が謁見のため来日。仄かな想いを寄せるが、国許に妃がいると知り失恋。それから数年後、弓削皇子との縁談が持ち上がるが、弓削と紀の不倫騒動で破談。さらに珂瑠の乳母・三千代の紹介で、新田部皇子を薦められた。
だが、この縁談は三千代の恋人・藤原史が自身の野望のために進めたもので、史の本心を悟った新田部から別れを告げられ、国のために生きることを決意。
中部地方行幸での一件から、新田部の本心を知るが、二人は別々の道を歩む。
後年、祖母・母同様、女帝として生きることになり、その苦悩は『長屋王残照記』『女帝の手記』でも描かれる。
珂瑠皇子
草壁と阿閉の第二子。長男。父・草壁同様ひ弱だが、一途な性格。
父を亡くし、母・祖母の庇護の元「跡取り」として育てられる。9歳の頃。10歳年上の叔母・紀皇女との縁談が決まり婚約。紀が宮殿に通ってくる、「通い婚」となるが中々進展せず、乳母・三千代に「紀ィ(彼女の愛称)に嫌われたら、どうしよう」と不安を打ち明ける。その後、三千代の紹介で采女として上がった、史の長女・宮子(後述)を側女にした事で自信をつけ、ついに紀と結ばれる。
やがて、皇太子となるが、紀が弓削と不倫したことで紀と別れることになり、ショックを受ける。
そのため、自身の後宮には皇族の妻(妃)がいなくなり、夫人となった宮子と地方豪族出身の嬪が2人(石川氏・紀氏)だけとなる。彼女と別れてからも忘れることができず、紀が無理心中を図って壮絶な死を遂げた時には、現場に向かおうとした上(三千代たち従者に止められた)、「僕の一番、大切な妻だ!」と叫び、号泣。
即位後、宮子が懐妊するが、あまり喜ばなかったことから、宮子を嘆かせた。さらに追い討ちをかけるように「紀ィにそっくりな、女の子を産んでくれ」と告げ、宮子の心を深く傷つけた。その後、宮子が産気付いた日に見舞いに行かず、紀の墓が完成した際には臣下の制止を振り切り、自ら骨洗いを行う。宮子が出産した、男児・首皇子(のちの聖武天皇)を見てもあまり喜ばず、このことがきっかけで宮子は首の育児を放棄し、以後引きこもりとなる。
その後、祖母・讃良とは政治的に対立するようになり、遣唐使派遣も最後まで反対した。
中部地方行幸の一件で、ついに讃良への不満を爆発。氷高と言い争いになるが、阿閉に窘められる。謝る氷高に対し、「いいえ どうせ私は (祖母と違って)器が小さいんです」と告げた。
吉備皇女
草壁が嬪(石川氏)との間に儲けた、第三子。次女。産褥で母を亡くし、阿閉に育てられる。
現実的な氷高とは違って、明るく素直。成長後、母方の従兄弟・長屋王(後述)に恋し、兄の即位後。母・阿閉に「縁談がまだ決まっていないなら、私、長屋がいい。」と告白。それからしばらくして、長屋と結婚。当初は通い婚だったが、長屋の宮へ引っ越した。
『長屋王残照記』にも登場し、賢夫人であり、朗らかで可愛らしい女性として描かれる。

妃嬪・皇族・臣下

額田王
大海人の最初の妻(嬪)。讃良が幼い頃からの理解者。讃良の生涯を通じて相談相手となり、彼女を励まし続けた。
歌人としても有名。姉に鏡女王がいる。若い頃から少しも変わらぬ美貌で、物語を通じて謎めいた存在。讃良の治世では、讃良の重臣・藤原大嶋(史の遠縁)から淡い想いを寄せられていた。当初は、皇極(斉明)天皇に仕える采女だった。その後、大海人と結ばれた。
大海人の第一子・十市皇女を産む。だが、中大兄から望まれ、心ならずも彼の後宮へ。中大兄から深い寵愛を受けるが、しばらくは心通わぬ間柄だった。その後、十市の縁談がきっかけで心から結ばれた。
実は霊力の持ち主でもあり、間人皇女(中天皇)の逝去直後、中大兄から「間人の魂を呼び戻してくれ!」と懇願され、召喚の儀式を行うが、間人の遺体は腐敗していった。
大友の死後は、罪悪感に苦しむ娘を励ます。だが、十市は大海人により高市との仲を裂かれて自害。その葬礼で大海人を責めた前述にもある通りこの時代を代表する歌人であるにも関わらずどういう訳か、額田はこの時に娘の死を悼む歌を残していない。歌を詠まなかったのか何らかの事情で『万葉集』に残らなかったのかは定かではないとされる。
その後は、大海人や中大兄との情熱的な恋愛人生を送ったことから「伝説の女性」と呼ばれる。恋に悩む、弓削と文をやりとりするようになる。
倭媛
中大兄の正妃→皇后。第1話で、遠智の元へ通う中大兄を詰るなどして、嫉妬しているが「子供が出来ない」と正面切って嫌味を言われる等、中大兄との仲は冷え切っている。
だが、数年後。隠棲していた父・古人皇子を処刑された事で、中大兄の冷酷さに気付き、見舞いに来た遠智に「あの人は…人間として冷たい人なのよ」と遠智に訴え、「ひっそりと耐えて生きる」と告げ、「何があっても中大兄さまに 逆らわないで」と忠告した。
中大兄の崩御後。彼を悼む挽歌を詠み、額田に「今となってみては…もう一度会いたい…」と、複雑な心境を打ち明けた。
鏡女王
額田の姉。亡き遠智に、面差し・髪型が似ている。彼女を亡くし、悪夢にうなされていた中大兄の様子を見に来た事がきっかけで、彼の手が付き嬪となる。
だが、数年後。中臣鎌足に下げ渡される事になり、不満をあらわにしそれぞれに文を贈るが、鎌足の返歌があまりにも直情的だった事で、好感を抱き嫁ぐことを決めた。
中大兄・鎌足との間にも子供はできなかったが、鎌足との夫婦仲は円満。夫を看取った後、正妻として他の妻が産んだ三女・五百重を大海人へ、次女・耳面刀自を大友へ嫁がせた。
大海人が即位してから数年後、十市の忘れ形見・葛野王(後述)の今後を大海人に頼み、亡くなった。
氷上娘
鎌足の長女で史・五百重・耳面刀自の長姉。
有馬(後述)が処刑され、皇極一行が温泉旅行から帰ってすぐの頃に大海人との縁談がまとまり、嫁ぐ。
大海人が讃良と吉野へ隠棲する直前に、一人娘・但馬(後述)を出産。彼の宮へ娘の顔を見せに来るが、大海人が「疲れた」とすぐに寝てしまい讃良に今後の事をこぼしていた。
大海人の即位後は穏やかに暮らしていたが病を患い、682年1月。11歳だった但馬を遺し亡くなった。
五百重娘
氷上の末妹。父・鎌足(後述)の没後、大海人の下へ嫁ぎ新田部を産む。
大海人崩御後異母兄・史(後述)と結ばれ、麻呂を出産。だが次第に史の愛が薄れ、三千代(後述)に史の寵愛を奪われた事などから、性格が卑屈に。
新田部から「氷高にふられた」事を打ち明けられた上、「堂々と 自分の人生を歩いて下さい」と諭されたことから、逆上。その後、史から「正式に 三千代と結婚します」と告げられたことから、恨みを捨てて生きることを決意。
耳面刀自娘
氷上の次妹。父・鎌足(後述)の没後、大友の下へ嫁ぐ。心から彼を愛し、大友曰く「おれが行くと いつも喜んで飛びついてくる」とのこと。
壬申の乱後は、遠縁の家に身を寄せている。ある日、十市から招かれたが彼女から「幸せだったかしら?」と問われた事で、彼女への嫉妬が爆発し 「大友様が苦しんだのは貴方の所為だった」と十市を罵倒。「大友様を死に追いやったのは…貴方よ!」と言い捨て、涙を浮かべて部屋を出た。帰りの輿の中で、現天皇・大海人の夫人となった、長姉・氷上と末妹・五百重が栄華を手にしている姿と、現在の自分の境遇を比べ、短い間だったけど幸せだった…と当時を振り返っていた。
石川刀子娘
石川氏出身。宮子(後述)が夫人となった頃に、嬪として珂瑠の後宮へ入った。宮子とは違って、大らかな性格。
珂瑠の即位後、第一子(次男)となる広成を出産。両親が大層喜び、「もっともっと 御子を身ごもる!」と、目標を立てた。だが、数年後。作者の別作品・『長屋王残照記』で、不義の冤罪を着せられ嬪の位を剥奪されてしまい、母子共々退けられた。
紀竃娘
紀氏出身。珂瑠(前述)の項にあるように、宮子が夫人となった頃。刀子と同時に嬪として珂瑠の後宮へ入った。
宮子・刀子が立て続けに皇子を出産したが、自身には懐妊の兆しがないため、父・紀氏から「なぜお前には 兆しがないのだ」と責められる。
居間を出た後。涙を浮かべながら「父上の期待に応えられないと 娘として失格なの?」と思い悩む。
宗像君尼子娘
大海人が九州へ3か月の出張に行った際知り合い、嬪となる。高市の母。穏やかで優しい性格。
のちに額田が中大兄の後宮へ入ったため、大海人の妃嬪達の中では最古参の妻。
第3巻で大田に第2子(大津)が誕生した際、高市が「弟が増えた」と喜んでいたが、自身が低い身分である事から、「大田さまや讃良さまたちとは 身分が違うのよ」と暗に立場の違い高市の項にもある通り、後継者からは外されている。を打ち明けた。
大江皇女
中大兄が色夫古娘(しきぶこのおとめ)との間に儲けた娘。弟(川島皇子(後述))が一人いる。
白村江の戦いからしばらくして、大海人の下へ嫁ぐ。長皇子・弓削皇子(後述)を儲けるが、弟が大津を密告した事で周囲から白眼視されるようになり、息子達に肩身の狭い思いをさせる事になったことで心を痛める。
川島が心労の末、病に倒れ亡くなった事から世間付き合いを避けてひっそりと暮らすようになり、その後。病に倒れた。
弓削が出世を目指すようになった挙句、紀との不倫で失脚し、長がひたすら控えめに生きるようになったことから「自身に力がないせいで…」と思いつめ、長に看取られ亡くなった。
大韮娘
蘇我赤兄(後述)の娘。姉妹(常陸娘)が一人いる。
大江(前述)同様、白村江の戦いからしばらくして大海人の下へ嫁いできた。性格は甘ったれで気分屋(讃良・大海人談)。大海人との間には、穂積・紀・田形と3人の子供に恵まれた。
だが、前半生は父が戦(壬申の乱)に敗れて流罪となり、大海人の妃嬪であることから周囲に「優遇されている」と陰口を言われて肩身の狭い思いをし大海人から「少し気弱になっているようなんだ」と、心配されていた。、晩年は上の息子と娘が立て続けに不倫騒動を起こしたことから、頭を痛めているなど家族のせいで苦労が絶えない日々。
そのせいか、讃良よりも若いのに白髪である。
十市皇女
額田が大海人との間に儲けた娘で、大海人にとっては第1子。
高市皇子とは、幼少の頃から相思相愛。だが、彼女に横恋慕する大友皇子(後述)から求婚され、夜遅くに大友の宮へ断りに行くと、彼から「どうしても駄目だって言うなら…お父様(中大兄)にいいつけて…高市も額田も、どうなるかわからないよ」と恫喝され、やむなく大友の元へ嫁ぐ。
蒲生野での薬草狩りで、高市と再会。互いの想いを確かめ合うが、狩りが終わった後の宴で妊娠が公表される。男児(のちの葛野王)を出産。その後、耳面刀自が嫁いできたことがきっかけで彼から、「おろかな事だ…お前が嫉妬してくれる事を期待してたんだ」と、打ち明けられた。、大友から愛を告白され、高市への想いを閉ざして大友を支える事を誓った。しばらくの後、父・大海人が吉野隠棲から挙兵し、父と夫が皇位を巡って争う壬申の乱が始まる。
戦の終盤、十市への愛情を隠した大友から一方的に別れを告げられ、葛野が住む山背へ送られた。 父の即位ののち、大友を愛せなかったことに対する罪悪感に苦しみつつも、ついに高市と結ばれた。天武天皇が大友の天皇即位を認めない立場から第19巻巻末あとがきに、「父が天皇」ではあるものの「母が皇族」ではない事から中大兄が強引に後継者として認めさせたため、後年。明治政府は、大友を弘文天皇として認定した事が書かれている。一時は再婚も容易だと考えられる皇后の再婚は認められないことによるも、結局は現政権維持のため、2人の仲は裂かれる。その後。大海人から「高市の頭を冷やすため、しばらく離れさせる」と告げられ、新たに泊瀬の斎王に任命された。「大伯と違って、わたしは(処女ではない)…」と言うが、自身の宮に臨時の潔斎のための宮を設けた事を告げられ、「今夜から入るように」と命じられ、息子・葛野とも離れ離れになる。
出立当日の朝。かつて高市から贈られた、髪飾りと首飾りを身につけ、高市と葛野を自分とのしがらみから解放させたいという思いで、自害した赤穂という土地に葬られたものの、現在では正確な場所がわからないとの事(奈良地方のどこかにあるとされる)
高市皇子
大海人が3か月の出張の際、知り合った豪族の娘・宗像君尼子娘との間に儲けた長男。十市とは幼い頃から、相思相愛。母の身分が低いことから、後継者からは外されている。
十市が大友の元へ嫁ぐ事が決まった日、悔し涙を流していたところ、讃良に慰められる。さらに十市が嫁いだ日の夜。讃良が訪ねてきて、彼女がかつて使っていた教材を贈られ、「貴方と大友は対等の身分です。より強い男となって、大友を見返してやりなさい。」と叱咤激励された。その上で、「いずれ…その時がきたら、金糸入りの衣をあなたに贈りましょう。」と告げられ、その夜。彼は金糸入りの衣を身につけて、閣議に加わった時に父でも中大兄でもなく、讃良が玉座に座って悠然と微笑む姿の夢を見た後年、自身が讃良政権の下。太政大臣となったことで、この夢は正夢となる
蒲生野での薬草狩りの際、十市と再会。想いを確かめ合うが、その夜の宴で十市の懐妊が発覚。自暴自棄になり、ヤケ酒をあおった挙句、野原でバッタリ会った柿本人麻呂(後述)と一夜を共にした。壬申の乱で父が挙兵すると、18歳であった高市も将軍として前線に立ち、乱終結後は、取り調べ長官として刑罰の執行に当たった。即位後は、大海人・讃良と共に政治の中枢に。紆余曲折の末、長年の思いを遂げ、我を忘れて十市を愛するが、やがてその姿が人目につくようになる。
だが、現政権維持のため、2人の仲は裂かれ十市が斎王として卜定された事を知ると、行かせまいと彼女が潔斎する宮へ乗り込むが、八重山吹の花を贈られた。十市の死後、彼女を悼む挽歌を3首詠む。
十市の死後、虚脱状態に陥っていたが、讃良に窘められた。星祭(七夕)の宴席で讃良の従姉妹(=異母妹)御名部皇女と結婚させられる。十市への愛情から御名部に心を開くことはなかったが、御名部が高市のためを思い但馬皇女を側室(第二妃)に迎えることを進めていると知ったことをきっかけに、御名部を妻として愛するようになり2児を儲ける。その後但馬皇女(異母妹)を娶るが、但馬は幼なじみで異母兄弟の穂積皇子と不倫。讃良の治世では、太政大臣となった。能力も人望も高いが、母の身分が低いことを惜しまれていた。
それから数年後。但馬が酒に入れた薬が原因で、急死した。死の際に思い浮かべたのは十市皇女の姿であった。
大友皇子
中大兄が采女・伊賀宅子娘との間に設けた次男。母の身分が低いため、朝臣からは「跡取りとしては不適格」と見なされている。幼い頃から、十市に恋慕していて、彼女を恫喝し半ば無理矢理妃にした。十市を愛しながらも、彼女の心を得ることはできず苦しみ、心ならずも傷つけるような言動を繰り返す。
学問に励み高い教養を見せるものの、高市と比べて武術(狩猟)の腕は劣る。薬草狩りからしばらくして、太政大臣に就任。
やがて、叔父(舅)でもある大海人との間に、後継者争いが表面化。大海人隠棲後、父:天智天皇が亡くなり天皇として即位する。皇后となった十市皇女は複雑な立場から、フナ料理を用いて密通しているとの疑惑をかけられる宇治拾遺物語のエピソードに基づくが、大友は彼女が裏切っていないことを知ると心から安堵する。だが同時に、妻としての誠実さだけで、自分が愛されていないことに苦悩する。壬申の乱が勃発するや、大海人軍が都へ押し寄せる。最終決戦を控える頃、十市が額田の迎えを断り、宮にとどまっていることを知ると心ならずも十市を離縁し疎開させる。
都が炎上しているところを見届け、偉大な父上の業績を台無しにするために生まれてきたみたいだと、自身の不甲斐なさを振り返っていた。
舎人の長・石上麻呂に後を託し、首をつり自害した。
中臣鎌足
中大兄の重臣。第1巻で、中大兄・倉山田石川麻呂と共に蘇我入鹿を倒した。藤原氏繁栄の祖。第1巻後半。中大兄の嬪だった鏡女王を娶る(下げ渡された)。
近江大津京遷都後も引き続き、中大兄と共に政治を執り行っていたが、大海人の隠棲直前。志半ばで病に倒れ、病床に次男・史を呼び、「お前の頂上は、讃良様だ。讃良様には、中大兄様や大海人様にはない政治力がある。」と遺言(倒れる直前、讃良に会った際に彼女の政治家としての素質を見抜く発言をしていた)。その直後。中大兄の名代でお見舞いに来た、大海人から位を賜り「藤原」姓を授けられる。
中大兄がお見舞いに来るその日、この世を去った。
但馬皇女
大海人と氷上娘の娘。幼くして母を亡くした。
長じて高市との縁談が持ち上がり、父が亡くなってからしばらくして、第二妃となる。だが、高市が自分の元に通ってこない事から不安を抱き、自ら高市の宮へ訪れたりするなど積極的にアタックするが、子ども扱いされてしまい次第に不満を募らせ、泣き暮らすように。ある日、幼なじみで異母兄弟の穂積皇子と再会。彼女を心配して宮を訪れた際告白され、不倫関係になる。
関係は続いていたもののすれ違いなどが続き、ある晩ついに正妃・御名部皇女に見つかり叱責を受けるが、バレないようにうまくやれということだと解釈。一方の穂積は逆の解釈をした。
それから暫くして、遂に高市に不倫が発覚。これまで高市から省みられず淋しい日々を過ごしていた事、そして穂積から愛を告白されて愛するとはどういう事かを教わった事を高市に正直に打ち明けた。だが、穂積が保身のため不倫を否定したことから高市は「この男には覚悟が足りない」と穂積への心証を悪くし、穂積は左遷される。何も知らない彼女は「彼の事は忘れるように」と告げられ、高市を恨んだ。
それから数年が経ち、高市の元から逃げ出して穂積に会いに行こうとするが、彼女を案じた叔父・不比等からある薬を贈られた。だがその薬には強い副作用があり、酒に混ぜて高市に飲ませたところ高市が死んでしまう。その事で罪悪感から何もせず暮らしていたが、御名部の薬草作りに協力するようになり、人間として成長しつつ穏やかな生活を送る。
穂積皇子
大海人と大韮娘(蘇我赤兄の娘)の息子。妹が2人いる(紀皇女と田形皇女)。但馬とは幼なじみで、氷上の葬儀にも出席していて気丈にも涙を見せず喪主を務めた但馬の姿を見て「本当にえらいね」ともらい泣きする。成人後高市と結婚したものの不幸な生活を送る但馬を訪ね、愛を告白して不倫関係となる。数年後、ついに高市に不倫が発覚。だが、潔い但馬とは正反対に保身のために関係を否定し、高市から左遷を言い渡された。
紀が不倫の末無理心中を図って亡くなった時には、納棺の際死に顔が血で染まっていたため、采女に代わって清拭していた。妹の無残な結末を目の当たりにした事で、「おれは 弓削(と同じよう)にはなりたくない!」と思った。
その後公の場で但馬に会ってもそしらぬ顔をし、彼女とは疎遠に。そのまま二度と関係が再燃することはなかった。後年、母・大韮から「どうしてうちの子は不倫騒ぎばかり、起こすのか…」と嘆かれた。
紀皇女
大海人と大韮娘の長女。穂積の妹。珂瑠皇子や弓削皇子からは「紀ィ」と呼ばれる。この時代には珍しく、クールな性格でなおかつ、言いたい事をはっきりと言う女性。
そのため、異母兄妹でもある弓削皇子(後述)からは「生意気なやつ」と思われている。ある日、讃良から孫・珂瑠皇子の妃にと望まれ、(断れるわけがないわ)と思いつつも、承諾。
縁談が公になり、道で会った弓削から「年下のかわいい子を育てるのがご趣味とは、おみそれしました」と揶揄され、「…一生の問題です。からかわないで!」と涙を浮かべて言い返した。
その後。謝りに来た弓削と話し合う内、「女だって、自由に男を選びたいわ」と告げ、そのまま関係を持ってしまう。この一夜を「遊び」で済ませようと弓削に言い、その上で「抱かれたからって、男の所有物になるわけじゃないわ」と言い放つ。
弓削とは、珂瑠が皇太子として立太子してからも関係が続くが、ある日。弓削のお手つきだった采女の密告により、不倫が発覚。讃良から尋問を受けるうちに、弓削への愛に気付く関係が始まった当初は遊びのつもりだったが、彼との関係を続けるうちに、(自分には 何かしたいとか目標とか何にもないんだわ!)と人生の目標がない事に気付く。。(これからは生命をかけて愛を貫くわ)と決心。彼女の前に尋問を受けていた、弓削が現れると「ああ弓削!愛しているわ!!」と告白。だが、弓削が関係を否定し、「迷惑ですよ、まったく」と告げられ、呆然。
皇太妃の位を剥奪され、謹慎処分に。失意の日々を送ることに。訪ねてきた、兄・穂積から「俗世を捨てて、尼になれ」と言われるが、「冗談じゃないわ」と一蹴。その上で、穂積に「さあ!行きなさいよ、但馬どののところへ!」と言い返し、大喧嘩になる。その直後、訪ねてきた柿本人麻呂に「紀皇女さま御製の歌が、人の噂で口から口へと広まっています」と告げられ、その他の歌を聞かせて欲しいと頼まれ、見せた。彼から「歌集を作りたい」という夢がある事を打ち明けられ、彼とやりとりし、新たな歌も記録して欲しいと頼む。ところが、この交流が元で、人麻呂が山背国へ左遷されてしまう。
知らせを受け、自暴自棄になった彼女は夜。馬に乗って宮を飛び出し、弓削と無理心中を図るが、弓削に刀を取り上げられ、泣き叫びながら刀に飛び込み、「私のことを…思い出したくもないですって…駄目よ…」と弓削に言い、壮絶な死を遂げた。
田形皇女
穂積と紀の末妹。
兄姉揃って不倫騒動ばかり起こしたことから、結婚そのものに否定的な考えを抱くようになり、年頃を迎えても独身を通している。伊勢神宮の斎王になりたいと思っており、史実では慶雲3年(706年)に実現する。
弓削皇子
大海人と大江皇女の次男。叔父・川島皇子が大津を密告した件で、一族が衰退していることから不満を抱いている。穂積の左遷後、兄・長皇子と共に取り立てられるが鬱屈とした日々を送っていた。
ある日、朝臣たちと女性談義をしていたところ、偶然通りかかった紀皇女(前述)から「子供みたい」と笑われ、腹を立てる。その後、彼女が珂瑠の皇太妃になると、年下趣味と揶揄するが、涙を浮かべて言い返され、謝罪に訪れた日。関係を持ってしまう。紀とは珂瑠が立太子してからも関係が続くが、ある日。自身のお手つきだった采女の密告により不倫が発覚。尋問の場で紀から愛を告白されるが、あわてて否定。
昇格の話も流れてしまい、失意の日々を送る。だがその後。紀から無理心中を図られ、刀を取り上げるが取り上げた刀に彼女が飛び込み、亡くなってしまう。あまりにも壮絶な死に衝撃を受け、その後は病を患い、寝たきりになり帰らぬ人となる。
藤原史
鎌足の次男。父の生前、「おまえの頂上は、讃良さまだ」と告げられたことで、成長後は讃良を支える事を誓う。
川島の没後、異母妹・五百重と通じ、四男を