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新宝島/手塚治虫

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著者: 手塚治虫
巻数: 1巻

手塚治虫の新刊
新宝島の新刊

最新刊『新宝島


出版社: 講談社
シリーズ: 手塚治虫文庫全集


新宝島』(しんたからじま)は、1947年に手塚治虫が発表した漫画。原作・構成/酒井七馬、作画/手塚治虫。書き下ろし単行本。

手塚治虫にとってデビュー長編『僕らが愛した手塚治虫』p.173。であると同時に出世作であり、戦後日本マンガの出発点とされる宮本大人「『ONE PIECE』、マンガのど真ん中」『マンガの居場所』夏目房之介編著、NTT出版、2003年、p.96.。マンガ史における本作のマンガ表現の果たした役割についても研究者の間で議論となっている。

あらすじ

亡くなった父親の書類箱から宝の地図を見つけたピート少年は、知り合いの船長とその島へ行こうとするが……。

ロバート・ルイス・スチーブンソンの『宝島』をベースとターザン、ロビンソン・クルーソーを混ぜ合わせたような物語と表現されている『手塚治虫と路地裏のマンガたち』p.35。大塚英志、大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』角川書店、2005年、p.123。

ちなみにロバート・ルイス・スチーブンソンの『宝島』は1971年3月20日に公開された東映動画製作の劇場用アニメ映画『どうぶつ宝島』の題材にもなっている。

同作のアイデア構成は宮崎駿である。

単行本

冒険漫画物語 新宝島

育英出版発行の(赤本漫画)。一部キャラクターの顔は酒井七馬が描いたが、大部分が手塚治虫の作画。ただし当時の赤本マンガの通例により、手塚の原画を写真製版したものでなく、版下職人が手塚の原画を手描きでトレースして製版した描き版である『手塚治虫解体新書』p.93。『僕らが愛した手塚治虫』pp.172-173。竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年、p.19.。発行時期によって装丁が一部異なる。

発行部数については、4万部という推測から40万部という証言、80万部とも言われており、正確な数は不明である『謎のマンガ家・酒井七馬伝』pp.128-134。『手塚治虫解体新書』p.87。。なお、手塚治虫の原稿料は3,000円の買い切りであり、手塚に印税収入は入らなかった『手塚治虫と路地裏のマンガたち』p.55。『僕らが愛した手塚治虫』pp.174-175。

  • 初版:1947年1月30日発行。表紙の「宝」の文字が、旧字体の「寳」になっている。奥付の表記も「寳」。ローマ字表記は「SHIN TAKARAJIMA」。初版のみハードカバーで紙質も上質なものが使われている『手塚治虫解体新書』p.89。
  • 改訂版:1947年4月20日発行。表紙の「宝」の文字が、旧字体の「寳」になっている。奥付の表記は「寶」。異本多数。
  • 再版:この版のみ、ローマ字表記が「SHIN TAKARAZIMA」になっている。現在一番流通している。『ピート君漂流記』など異本多数『僕らが愛した手塚治虫』p.175。

ジュンマンガ

1968年頃発行。文進堂発行の漫画研究叢書。西上ハルオの手でトレス版が発行されている。初期発行のものには「(1)」と表記されているものの2号以降は出版されず。

手塚治虫漫画全集

1986年10月3日、講談社発行の手塚治虫漫画全集のために描き下ろされたリメイク版。元本をもとに、手塚治虫自身で全て描き直されている(後述)。

オリジナル復刻版

2009年2月27日に、1947年発行の初版本が小学館クリエイティブから復刻発売された。2000円の通常版と、7980円の豪華限定版の二種類。本文192ページ。正式な復刻はこれが初となる。

登場人物

ピート
本作品の主人公。亡くなった父親の持っていた宝の地図を発見し、船長と宝探しに出かける。後に他作品でケン一少年として登場。
船長
ピート少年の父親の友人。船を操り、ピート少年と共に冒険の海へ。後に他作品にブタモ・マケルとして登場。同年『火星博士』でもケン一少年とコンビを組むが、酒井七馬のクレームにより同作品をもってコンビ解消となる。
犬(パン)
ピート少年に船の中(リメイク版では道路)で拾われた犬。リメイク版では実は妖精という設定で、「パン」という名前も付けられている。
ボアール
片手片足の海賊。昔、ワニザメと格闘した際に片輪に。後に『バンパイヤ』で片足の警官隊長として登場。『ブラック・ジャック』の「青い恐怖」ではピート少年と親子役で共演している。
バロン
20年前に船が難破し、島に流れ着いた際にチンパンジーに育てられる。今では密林の王者に。動物を巧みに操る。

描き換え

本作品は、講談社の手塚治虫漫画全集出版時の描き直しの際、多くの描き換えがされている。

  • 三段組から四段組に変更。一部のコマは、その都合で前後されている。
  • 犬との出会いが船の中→波止場へ行く途中の道路
  • 「冒險の海へ」「海賊船」などのサブタイトルの削除。それに伴い目次も削除。
  • 手塚自身で描いたものではない書き文字の削除。
  • 単行本出版時に描き換えられたターザンの顔の修正
  • ラストシーンの追加(これは元本執筆時に構想していたがカットされたもの)

その他、多くの描き換えが施されている。描き換えの理由については手塚治虫漫画全集版巻末の「「新宝島」改訂版刊行のいきさつ」において、当時の原稿を紛失しており、原本からの復刻も赤本マンガは職人の描き版であり手塚本人の絵ではないこと。そして共作者の酒井七馬の手が入っていて手塚治虫作品とは言えないことなどを挙げている。

影響

本作は、当時の中央の出版社の少年雑誌に掲載されるマンガが4ページ程度だった時代において、200ページを越えるボリュームで描き降ろし出版された。それまでのマンガの「単純」「短い」といった常識を打ち破り、奇想天外な冒険ドラマが描かれた本作が40万部とも言われるベストセラーを記録したことによって、赤本マンガブームが到来した『手塚治虫マンガ論』p.96.『手塚治虫と路地裏のマンガたち』pp.72-74。竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年、p.19.『誕生!手塚治虫』pp.94-95。

本作を読んで漫画家を志した読者も多い(藤子不二雄『二人で少年漫画ばかり描いてきた』p.20、石ノ森章太郎石森章太郎『少年のためのマンガ家入門』秋田書店、1965年。、楳図かずお、中沢啓治など)。

また、その映画的表現から、「絵が動いている」と当時の漫画少年たちに衝撃を与え、「マンガの映画的な表現を、手塚が生み出した」と、この作品は長らく「手塚神話」と一体化されていた『テヅカ・イズ・デッド』pp.161-164。

とりわけ手塚治虫の影響が大きかったトキワ荘グループのマンガ家によって喧伝され、中でも藤子不二雄の『まんが道』のエピソードや自伝『二人で少年漫画ばかり描いてきた』p.20で影響を語っており、1970年代以降の手塚治虫と『新宝島』神話の浸透に大きな役割を果たしていた伊藤剛 (評論家)|「伊藤剛のマンガ史講座」『ゲームラボ』2006年12月号、三才ブックス夏目房之介「『晋宝島』 コマの革命はあったのか?」『手塚治虫はどこにいる』筑摩書房、1992年、p.48.

神話の形成については、『新宝島』がベストセラーであったにもかかわらず、最初の赤本マンガの育英版以降再版されず、1950年代以降は幻の作品になり現物を目にできないことも理由としてあった呉智英「ある戦後精神の偉業」『手塚治虫の宇宙』p.228。

だが、1980年代末以降の研究では、手塚治虫以前に既に「映画的な表現」をしたストーリー漫画(宍戸左行『スピード太郎』や大城のぼる『汽車旅行』など)が存在したことが指摘されるようになった1989年の呉智英「ある戦後精神の偉業」『手塚治虫の宇宙』p.228。。マンガ研究家の宮本大人は戦後の子供が手塚治虫のマンガに衝撃を受けたのは、第二次世界大戦中の「漫画に対する規制」による表現の断絶が原因ではないかとみている『テヅカ・イズ・デッド』pp.167-173。

なお、生前の手塚治虫は長く本作の復刻を拒み、手塚治虫漫画全集に納める際に自らが描き直したが、本作の作品的価値についても否定的であった『手塚治虫解体新書』p.100。

手塚と酒井の役割分担については、中野晴行は共作者の酒井が元アニメーターであったことから、「映画的表現」はむしろ酒井の功績であるとの考えを示した『謎のマンガ家・酒井七馬伝』p.124。。一方、野口文雄『手塚治虫の「新宝島」』(小学館、2007年)は中野の説に反論し、『新宝島』の革新性は、それまで主に登場人物の台詞による説明に頼っていた時間や状況の進行を、台詞によらずスピーディなアクションやコマ割り・構図による表現で行ったことであるとし、こういった表現がむしろそれ以降の酒井七馬の作品にも影響を与えたとする。手塚本人は、手塚治虫漫画全集版のあとがきで「酒井さんが、原案と構成をしたことになっているが、原案はともかく、構成の草案は自分がした」と記している。

この他、竹内オサムは『新宝島』における革新性は映画的手法である「同一化技法」にあるとし、伊藤剛との間で論争が交わされた『テヅカ・イズ・デッド』竹内オサム『マンガ研究ハンドブック』竹内長研究室、2008年

古書価格

『新宝島』は古書としての価値が早くから認められたマンガでもある。1970年代初頭にデパートの古書店で40万円の価格だったことで話題になり『僕らが愛した手塚治虫』p.176。、1977年にも、静岡県の古書店で2万5千円の価格がつけられた『朝日新聞』1977年4月26日(『二人で少年漫画ばかり描いてきた』p.268)。

育英出版の初版は、現存が確認されたものが2002年時点で3冊しかなく、古書市場価格では300万円の記録がある。さらに状態がいいものについては、古書店のまんだらけが所蔵して、500万円の評価が下されている『マンガ古書マニア』p.24。『手塚治虫解体新書』p.86.。2000年代において藤子不二雄の「UTOPIA 最後の世界大戦」と共に日本で最も(相場が)高い単行本とされている『マンガ古書マニア』p.36。『手塚治虫解体新書』pp.87-89。

育英出版の再版は、テレビ番組『開運!なんでも鑑定団』では、1951年の重版が30万円と評価された。本の厚さは初版本の半分以下。

その他

手塚が虫プロダクション社長時代にスペシャルアニメとして制作・放映した『新宝島』は本作とはまったく関係がなく、スティーブンソンの『宝島』を翻案したものである。詳細は「新宝島 (テレビアニメ)」を参照。

参考資料

  • 『ジュンマンガ』第1号、文進堂、1968年
  • 手塚治虫『新宝島』手塚治虫漫画全集、講談社、1984年
  • 藤子不二雄『二人で少年漫画ばかり描いてきた』文春文庫、1980年
  • 呉智英「ある戦後精神の偉業 手塚治虫の意味」『文学界』1989年4月号、文藝春秋社(竹内オサム、村上知彦編『マンガ批評大系・別巻 手塚治虫の宇宙』平凡社、1989年に所収)
  • 中野晴行『手塚治虫と路地裏のマンガたち』筑摩書房、1993年
  • 米沢嘉博「「新宝島」ショック!! 戦後ストーリーマンガの始まり」『別冊太陽 子どもの昭和史 少年マンガの世界I』平凡社、1996年(『手塚治虫マンガ論』河出書房新社、2007年に所収)
  • さいとうはるお、黒沢哲哉『学習まんが人物館 藤子・F・不二雄-こどもの夢をえがき続けた「ドラえもん」の作者』小学館、1997年
  • 宮本大人「マンガと乗り物 〜「新宝島」とそれ以前〜」『誕生!手塚治虫 マンガの神様を育てたバックグラウンド』霜月たかなか編、朝日ソノラマ、1998年
  • 池田啓晶『手塚治虫解体新書』集英社、2002年
  • 江下雅之『マンガ古書マニア 漫画お宝コレクション1946〜2002』インターメディア出版、2002年
  • 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』NTT出版、2005年
  • 二階堂黎人『僕らが愛した手塚治虫』小学館、2006年
  • 中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝 「新宝島」伝説の光と影』筑摩書房、2007年

出典

外部リンク