新沢基栄
フラッシュ!奇面組 3
twitterでのコメント (関係ないのに引っかかることもあります...)
新沢 基栄(しんざわ もとえい、男性、本名同じ、1958年6月10日 - )は、日本の漫画家。日本工学院専門学校美術科卒。血液型A型。
代表作は『ハイスクール!奇面組』(週刊少年ジャンプ(集英社))。1985年にはテレビアニメ化もされている。
経歴
専門学校を卒業後、日雇いの運送屋で最低限の生活費を稼ぎながら漫画家デビューを目指し、集英社『フレッシュジャンプ』賞の選外となるも、『週刊少年ジャンプ』編集者に見出されて、1980年に同誌にて『3年奇面組』でデビュー。それ以前は、妹の影響で少女漫画志望であったため、初期の同作品にはその面影が色濃く残っている。
『3年奇面組』、その続編の『ハイスクール!奇面組』が大ヒットとなりテレビアニメ化もされるなど、一躍人気漫画家となる。しかし漫画家として順風満帆だった最中、高校生の時に同級生と遊びでやった相撲が原因で患った腰痛が、過酷な週刊連載活動の中で悪化する。「締め切り間際の魔術師」と印刷会社から苦笑されながらも(単行本版での本人談)辛うじて連載は続いていたが、遂にそれが限界を迎えて『奇面組』の原稿を落とす事態に陥り、それを重く見た集英社の上層部との相談の結果、『奇面組』は1987年に連載終了となる。もともと新沢としてはそれ以前に登場人物の高校卒業(1985年春)に合わせて終了させる意向だったが、編集部の引き止めによって連載は継続されていた。また、同社の上層部には先述の休載に至るまで新沢の意向が伝わっていなかったと言われている。
休養後、1988年に連載開始した『ボクはしたたか君』も人気を博すが、再び慢性化していた腰痛が悪化した事が原因で休載となり、未完のまま打ち切りとなる。
それ以後は長期に渡り連載を持たず、新沢の元アシスタントだった佐藤正のアシスタントをするなどしていたが、数本の読み切り作品を経て2001年より『フラッシュ!奇面組』(スクウェア・エニックス 月刊少年ガンガン)の連載を開始する。腰の様子を見ながら仕事をしていたためか休載しがちであったが、遂に2005年6月号を最後に『フラッシュ!奇面組』もまた長期休載となり、それから3年以上経過した今も連載再開の有無・時期などは発表されていない。
主な作品リスト
- 3年奇面組(週刊少年ジャンプ、1980年-1982年、全6巻、ワイド版全4巻、文庫版全4巻)
- ハイスクール!奇面組(週刊少年ジャンプ、1982年-1987年、全20巻、ワイド版全13巻、文庫版全13巻)
- 帰ってきたハイスクール!奇面組(全1巻)
- フラッシュ!奇面組(月刊少年ガンガン、2001年-)
- 古代さん家の恐竜くん(短編集、怪傑豪くんマンの読みきり作品も収録、全1巻)
- ボクはしたたか君(週刊少年ジャンプ、1988年-1990年、全5巻、ワイド版全4巻)
- ハッピーにおまかせ!(Vジャンプ短期集中連載作品、したたか君ワイド版2巻に収録)
- モテる、モテないのひみつ(原作:こざきゆう、2009年、学研教育出版『大人の科学マガジン』Vol.26「大人のひみつシリーズ」)
エピソード
- 学生時代は地元新聞社の投稿欄にイラストを投稿。常連というほど掲載されていた。
- 学生時代は高校の生徒会の副会長を務めていた。
- 『ハイスクール!奇面組』の主題歌をうしろゆびさされ組が歌っていた縁で、たびたび夕やけニャンニャンの生放送の見学に出向いていたが、人気が出るにつれおニャン子クラブの親衛隊や、不良達から目の敵にされ、外出は命懸けだった(本人が単行本コミックスで告白)。うしろゆびさされ組のメンバー選出に関しては特に意見は挟まなかったが、結果として二人が河川唯、宇留千絵のイメージに合う可愛らしさで喜ばしいと絶賛した。
- ポアロのアルバム「おもちゃやめぐり」のジャケットをデザイン。奇面組の面々による、日常生活のひとコマ風ジャケットである。
- 『帰ってきたハイスクール!奇面組』を発表当時、トヨタ・ヴィッツを購入。本編の1エピソードにも事代先生の新しい愛車として描かれたものがある。
- 『オトナファミ』(2008 JUNE)に『ハイスクール!奇面組』のアニメ版DVD-BOXの紹介記事が掲載された。その記事の「原作者インタビュー」では、最も影響を受けた漫画家として梶原一騎を挙げている。また、『奇面組』を描いたことである程度有名になれたが、もうこれ以上インパクトのある漫画は描けないかもしれない、と述べている。
アシスタント
- 佐藤正
外部リンク
- ハイスクール奇面組の新沢ファミリーが挑戦! なんだ!Cadaの家づくり(トヨタホームによる新居建築体験談)