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長谷川町子

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町子かぶき迷作集

出版社: 朝日新聞社
シリーズ:


twitterでのコメント (関係ないのに引っかかることもあります...)

sasanuma1967 RT @comic_natalie: 長谷川町子がボツにした幻の作品696点を初収録「おたからサザエさん」 https://t.co/0lrtU2bEwp https://t.co/cqihp0g7Es
cima_35 RT @HiroshiHootoo: ヤフオクの商品説明画像ではあるけど、やはり貴重なので、その一部をここに残しておこう。以下、発行順に並べていきます。 「漫画少年」創刊第2号、昭和23年2月号 山川惣治、井上一雄、島田啓三、原一司、長谷川町子、芳賀まさお https://t
DadabotX 漫画世界での子供描写って元々、長谷川町子や藤子や赤塚でさえ始めから期待されてないところがあってじっさい時代とは圧倒的にズレていたわけで、少女漫画なんかもっと酷くてお城のような家に住み大学のような高校に通っていたわけだが。
comic_gazou 「サザエさん」の長谷川町子が描いた?リヴァイ兵長。まんまタラちゃんに・・笑 https://t.co/tuQS6HvDLo
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長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年1月30日 - 1992年5月27日)は、日本の漫画家。日本初の女性プロ漫画家として知られる。代表作に『サザエさん』、『いじわるばあさん』、『エプロンおばさん』など。

人物

佐賀県小城郡東多久村(現在の多久市)生まれ。幼少時に福岡市春吉に転居し、春吉小学校を卒業。旧制福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)2年生の1933年(昭和8年)まで福岡で育った。父の死去に伴い1934年(昭和9年)、東京に転居し山脇高等女学校(現・山脇学園高等学校)を卒業。

山脇高女在学中から田河水泡に師事。デビュー作は「狸のお面」。戦前にも、3人の女学生を描いた「仲よし手帖」という人気連載を持っていた(1940-42,少女倶楽部に連載、戦後は「少女」にて連載,49-51)。第二次世界大戦(太平洋戦争)中、1944年から福岡市百道に疎開。西日本新聞社に学芸部の校閲係として勤務するが、終戦翌日に退職。

1946年(昭和21年)、福岡県の地方紙「夕刊フクニチ」に掲載された『サザエさん』で新聞4コマ漫画の第一人者となる。同年の暮れに東京に戻るが、当時東京都への転入は食糧事情悪化のため厳しく禁止されており、夕刊フクニチの記者という名目で許された。同漫画は後に掲載紙を「新夕刊」から「朝日新聞」と替え、何度か中断期間を挟みつつ1974年(昭和49年)まで連載された。姉長谷川毬子(1917-)と共に設立した姉妹出版(当時、のち姉妹社)代表。

1965年(昭和40年)2月20日に神奈川県の箱根町に所有していた別荘が放火され160平方米を全焼した。原因は、無断侵入していた浮浪者によるものと推定されている。それ以前にも、別荘には空き巣に入られる事件も起きている。

1970年(昭和45年)11月19日に東京都の世田谷区桜新町1丁目にある長谷川町子の自宅が放火された。この時は発見が早く長谷川町子本人が消火器を使って火災を消し止めた。火災の消火後、長谷川宅からすぐ近くの路上に座り込んでいた山口大教養学部の男子学生が放火の容疑で逮捕された。この学生はノイローゼで警察の取調べに対して「長谷川町子が俺を盗聴器で調べているから放火した」と語ったという。

1970年(昭和45年)に知的財産権に関する先駆的行動として、作者に無断でキャラクターを使用していた立川バスを提訴し、勝訴(サザエさんバス事件)。 1978年、『サザエさんうちあけ話』を原作とし、姉毬子を主役としてNHKの朝の連続ドラマ『マー姉ちゃん』が放送され、姉を熊谷真美、町子を田中裕子が演じて、田中が注目されるきっかけとなった。 1982年(昭和57年)、紫綬褒章受章。このときのインタビューで新作発表の質問に対し「もう漫画を描くつもりはない」と答えている。それでもエッセイ風の漫画をときおり発表することもあり1987年(昭和62年)3月22日の朝日新聞に掲載された『サザエさん旅あるき』が最後の作品となった。

1992年(平成4年)5月27日、心不全のため死去。。遺言により1か月間は公表されなかった。訃報は1カ月後の6月末に朝日新聞社とフジテレビの両社から公表された(フジテレビでは、火曜日の『サザエさん』再放送のラストで逝去の公表)。同年7月、家族漫画を通じ戦後の日本社会に潤いと安らぎを与えたとして国民栄誉賞が授与された 。他に第8回(1962年(昭和37年)度)文藝春秋漫画賞、第20回(1991年(平成3年)度)日本漫画家協会賞を受賞。

エピソード

  • 聖公会のクリスチャン。姉や妹とは違い、結婚をせず生涯独身を通した。なお、姉の夫である義兄は太平洋戦争で若くして戦死しており、妹の夫である義弟も妻(妹)と二人の娘を残して病死している。その後は母と姉の鞠子と町子と妹の洋子と二人の姪で長谷川家で生活していた。
  • 戦後のある日の夜、進駐軍のアメリカ兵が姉と町子しかいなかった(母は鹿児島への用事で不在)長谷川家へ現れる出来事があった。戦後の混乱の中で広まっていたアメリカ兵の噂を聞いていた二人は恐怖におののき、勇気を出して町子が応対したところアメリカ兵は彼女を子供と勘違いしてガムやチョコレートを沢山与えたという(この時には彼女から恐怖と不安は無くなっていた)。英語が解らなかった彼女は近所に住む英語教師にアメリカ兵の応対を頼む。後日、教師から聞いた話ではアメリカ兵は遊ぶ場所を探して迷いこんで長谷川家に訪れていたという。なお、事なきを得た際に姉はまだ恐怖に陥っていた為、中々鍵を開けてくれず町子が家に入れる事ができなかったが、その事を町子は憤慨し生涯忘れなかったという。
  • サザエさん等で動物が多く登場しているが、長谷川も実際に犬や猫を多く飼っていた。サザエさんうちあけ話では、特に飼い犬に関するエピソードが描かれている。また、長谷川が当時飼っていた犬と一緒に写っている写真も残されている。
  • サザエさんの連載を持っていた頃に姉と些細なケンカをして家出をした事がある。ひとまず厚生年金会館の宿泊施設に身を寄せるが、実は独り暮らしをした事もなく途方に暮れていたところ、翌日に朝刊で力道山の急死を知り、その影響かもう一度自分の人生を思い直し帰宅する。彼女によれば、その出来事が自分の人生のターニングポイントだったと述懐している。
  • 趣味で収集した各種美術品コレクションを活かすために私財を投じて「長谷川町子美術館」(東京都世田谷区桜新町)を開館。姉妹社の解散後、「財団法人長谷川町子美術館」として作品の著作権管理を行なっている。当初は「長谷川美術館」だったが町子の没後、現名称に変更された。住まいは、世田谷区用賀二丁目である(現在もそこに長谷川家がある)。
  • 先述の連載中断の理由の中には、執筆上から来るストレスによる胃潰瘍による入院もあり、胃潰瘍手術の麻酔から覚めるのが遅くなったエピソードがあり、酒に弱い体質だった事からくるものだったと長谷川は語っている。なお、果実酒なら少々たしなむ程度でもあったという。
  • 町子と遺族等の意向により、映像化された作品はDVDなどでソフト化されることはない。過去の「サザエさん」作品が一切出されないのもこのことが原因だといわれている。
  • 1993年3月には墓から遺骨が盗まれるという事件が発生したが、のちに戻っている。

作品

長谷川は以下の漫画作品以外にも、趣味で製作した絵画や粘土細工による人形等の作品も幾つか遺している。

漫画作品

  • サザエさん - 他に『別冊サザエさん』『よりぬきサザエさん』の題名で単行本あり。
  • かつおちゃんとわかめちゃん
  • いじわるばあさん
  • エプロンおばさん
  • サザエさんうちあけ話 - 自伝漫画。
  • サザエさん旅あるき
  • 似たもの一家
  • 仲よし手帖
  • 新やじきた道中記
  • 町子かぶき迷作集
  • 翼賛一家大和さん(翼賛漫画 進メ大和一家、大政翼賛一家、翼賛家族大和さんなど、タイトルは諸説あり)
  • さっちゃん
  • のんき夫婦
  • 銭形平次捕物帳
  • いじわる看護婦、いじわるクッキー、まんが幸福論 (単行本「いじわるばあさん」に収録)

アニメ化作品

  • サザエさん
  • いじわるばあさん

テレビドラマ化作品

  • サザエさん - 江利チエミ(舞台・映画)、星野知子、浅野温子、観月ありさ主演でスペシャルドラマ化(フジテレビ)
  • 意地悪ばあさん - 青島幸男、市原悦子主演(読売テレビやフジテレビで計4シリーズ制作。詳細は意地悪ばあさんの項を参照)。
  • エプロンおばさん - 冨士眞奈美主演。意地悪ばあさんの後継作品。約4か月で打ち切りになった。
  • いじわる看護婦 - 中原理恵が主に主演。末期には三原じゅん子も主演を務めた。
  • 意地悪お手伝いさん - 高見知佳主演。
  • マー姉ちゃん - NHK連続テレビ小説。『サザエさんうちあけ話』より(熊谷真実主演)。
  • フジテレビ開局25周年記念 長谷川町子スペシャル サザエさんVS意地悪ばあさんVSいじわる看護婦

脚注

関連項目

  • 朝日新聞 - 4コマ漫画を連載(朝刊連載、1951年 - 1974年)
  • 西日本新聞社 - 戦時中、学芸部に所属していた。
  • 田河水泡 - 師匠にあたる。
  • 第15回NHK紅白歌合戦 - 審査委員。

参考文献

  • 『長谷川町子思い出記念館』 朝日新聞社 1998年、朝日文庫 2001年。
  • 長谷川洋子『サザエさんの東京物語』 朝日出版社、2008年。妹による長谷川家の回想。

外部リンク

ca:Machiko Hasegawa

eo:Hasegawa Machiko